よどみに浮かぶうたかた

「行く川の流れは絶えずしてしかも元の水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫は且つ消え且つ結びて久しく留まりたる試しなし」

これは鴨長明の方丈記の冒頭である。

行く川の流れとは、人生の宿命を表している。ヒト種族の進化の流れとも言える。その大河の一滴が自分であり、その一滴を使って作られた泡である。泡は必ずしも流れに素直に乗っているとは限らずに、淀みに留まったり迷走したりする。これは個人の持つ自由であろう。しかしながらその泡は長くはとどまらないで、消えて元の川の水に戻る。そしてまた新しい泡が生まれる。

儚い泡の自分は、自分自身という小我に囚われずに、永遠に流れる大河、即ちヒトが持つ大我に目を向けなさい、ということだろう。

それによって、縁起というハンモックに抱かれるというか、儚い自分でも安心感は生まれるだろう。

しかしそんな運命に翻弄される儚い泡の自分でも、泡を構成する大河の一滴の範囲で、精一杯彷徨うことが出来る。時には流れに乗り、時には逆らいながら。

大河からすれば一滴は何億分の一でも、自分からすれば100%だし、水分子からすれば何億倍になる。

自分を構成する一数日しか生きられない細胞からすれば、ヒトの一生は大河の流れである。


細胞達に感謝しながら、自分という泡は、刹那を精一杯生きることで、泡が消えるまで、自分なりの泡の動きを作り出す。

その上で、ヒトとして生まれたことを感謝し、泡として、大河の流れに身を任せる。

そんな生き方をしてみたいものだ。

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