エラ・ヤング自伝『花ひらく黄昏』|新たな地平
家族席は教会の中二階にあった。高い仕切りがあり、赤いフラシ天のクッションには丸いボタンが付いていて、日曜ごとに少しずつゆるめれば取り外すことができた。わたしがボタンを取ることもあれば、妹のジェニーが取ることもあった。モードは熱中するには幼すぎた。母はなぜクッションのボタンをそんなに何度も縫い付け直さなければならないのか不思議がっていた。祖母は父と母とともに家族席にすわった。祖母は鷹揚な人だった。ときどきわたしたち子供に格言が書かれたペパーミント味ののど飴をこっそり渡してくれた。わたしたちは飴を見せ合いっこしてから口に入れた。
説教と聖歌の合唱のあいだは気を抜いていたが、ウィルソン博士が聖書の一章を朗読するときは集中してすわっていた。朗読の後に聖歌、その後が説教で、始まりは「みなさん、今日わたしが取り上げます題目はXXXのXXX章XXX節にあります」だった。
ウィルソン博士は朗読で説教の題目となる章を読むことがあり、その場合は該当の節に来るとわたしにはわかったので、ジェニーをそっとつねって知らせてやり、さらにジェニーがモードに伝えた。説教が始まるときには、わたしたちは全身を耳にした。わたしは題目を当てただろうか? 当たった! わたしたちは気を抜いた。ウィルソン博士はいつも説教の題目を含む章を朗読するとはかぎらなかった。その場合は、わたしは首を横に振り、説教を待たずに気を抜いた。
ダビデの詩編のどれかを歌うためにときどき立ち上がるので退屈も少しはまぎれた。わたしたちは前唱者が音叉を叩くのや、その口琴のような響きが消え去るのを待って聖歌隊が歌いだすのを眺めることができた。前唱者はいつも大まじめだったが、聖歌隊員は忍び笑いしていることもあった。
わたしたちの家族席は中二階にあったので、立ち上がると教会の身廊が見渡せた。もっとも、身廊に面白いものなどない。ただ会衆がいて、よそゆきを着た子供がところどころに混じっているだけだ。ある日、わたしと同い年くらいに見える子供が目に留まった――青白い顔の両側に金褐色の巻き毛が垂れている。聖歌集に目を据え、わき目もふらずにいた。わたしはその子以外のものはいっさい目に入らなかった。彼女は冬の日に初めて射した陽光のようだった。わたしの心の氷が割れた。神と森羅万象について抱いたすべての想念が高まり、崩れ落ちた。彼女が存在するという事実が世界を変えた。聖歌の合唱が終わった。みなが着席した。わたしはもう家族席に閉じこめられた囚人ではなかった。安息日でもなくなった。わたしの心が歌っていた。
こうしてわたしは初めてブライザンスを見た。彼女は七歳でわたしは九歳だった。
NEW HORIZON
Ella Young
館野浩美訳