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”ぶれるな!”って言われて悩んだときに読むnote
お世話になります。TOYOZANEです。
今回は、”ぶれない生き方”について私なりの意見を記事に残したいと思います。
いきなりですが、あなたは「ブレるな!」って言われたことありますか?
私は現在勤めている会社を2022年2月に退職する予定ですが、先立って退職していった先輩方の話を聞くと、社長と退職の相談をするときに必ずこう言われるそうです。
「それってブレてるやん。」
「今の仕事やめてその仕事する意味ってあるん?」
と。(割と圧迫面接されるそうです笑)
いやいや、ちょっと待てと。
ブレてるやんって、そらぶれるでしょうと。
そういうあなたは全くブレずに社長になることができたんですか?
20代前半(あるいは10代後半から)やりたいことが初めからあって、その夢に向かって一つ一つ目標を立てて、ぶれずに生きることなんてよほど環境と才能と運に恵まれた一部のスーパーマンしかできないでしょうが。
まあ正直少し腹が立ちましたよね。笑(逆ギレと言われればそうかもしれませんが…)
まあそういう経緯で”ぶれない生き方”についていまの僕が思うことを色々書いていこうと思います。
なぜ今僕は”ブレて”いるのか。
では、社長に言わせれば僕は”ブレて”いるわけですが、なぜ今僕がブレているのか自分なりに分析してみました。
まず僕がパーソナルトレーナーを目指した理由は、トレーニングが好きだからということがあります。
大学時代、人間関係・勉強に悩んでいたときに唯一楽しかったことがトレーニングで、トレーニングの楽しさを多くの人に知ってもらいたいと思ったことがきっかけでした。
そしてそんなこんなで大学を中退して2019年12月にパーソナルトレーナーになりました。
パーソナルトレーナーをしてわかったことは、多くの人は”トレーニングをするには目的がある”ということでした。
純粋にトレーニングを楽しむのではなく、「痩せるため」、「下半身の筋肉不足による痛みを無くすため」にトレーニングを教わりにきていただいているんですね。(まあ当たり前ですが…)
そこで現場に2年経って感じることは、
【これって僕からトレーニング教わる必要ある?】
ということです。
悪い言い方をすれば、僕はトレーナースクールは半年通ってはいるものの、資格を持っているわけでもなく、ボディコンテストで入賞しているわけでもなく、大学を卒業したわけでもないただのトレーニングを愛している一般人なわけです。
もちろん、長年トレーニングをし、現在も栄養学の本やトレーニング理論を勉強している経験や、ありがたいことに指導の経験を積ませていただいた経験から、ある程度の自信を持ってトレーニングは指導しているつもりではあります。
ただ、本質的に教える内容はインターネットで手に入れることのできることが大半です。
今の情報社会では、情報を手に入れることがとてつもなく容易になっていますからね。
ということは僕からトレーニングを教わらなくても、自分で調べたらええやんって思うわけなんですよね。
しかもそのことにみんなが気づいたら、「トレーナーっていらんやん…」ってなるとも思うわけです。(もちろんトップビルダーや限りなくイケメンなどなら別ですが。)
じゃあもっと別の何かを【仕事=生きがい】にして、社会に貢献したい。
そういう思いがあって、今僕は”ブレて”いるのです。
なぜ農業を選んだのか
ではその中でもなぜ農業をやりたいと思ったかについては簡単で、「日本の食料自給率が低い」という問題が僕の頭にあったということがあります。
日本の食料自給率の低さは昔から問題になっていますが、いつの頃からか忘れましたが、トレーナーとして食事指導を続けてきてふと
「食事をコントロールする以前に食事を食べられなくなったら
ダイエット以前の問題だよね」
と思ったわけです。
「日本の食料自給率がこのままもっと下がっていけば、食事を選ぶ以前の問題になる!」という危機感がそこから芽生え始めました。
と同時に、「じゃあ作物を生産することは、それ自体が明らかに社会にとって役に立つ仕事なのではないか?」とも思い、農業の特に生産現場に携わる仕事がしたいと思ったわけです。
”ブレる”のは悪いことなのか?
タイトルに戻りますが、”ブレる”ことって悪いことなんでしょうか?
今の僕の意見を言葉にするなら、
「家族などの支えがあってブレることのできるうちはブレたら良いのでは?」
ということです。
『論語』でも、孔子は人生において「而立(じりつ:基礎ができて自立できるようになること)」は30歳、「不惑(ふわく:心に迷いがなくなること)」は40歳からといっています。
24歳の僕も自立できるようになるには後6年かかるわけですね。
さらに心に迷いがなくなるには後16年必要で、「ブレるな!」ということには無理があるっていうもんです。
ただ、”ブレる”ことができるというのは贅沢なもので、”ブレる”ことができない人だっていると思います。
ですので、家族の支えがあって”ブレる”ことができているひとは、その環境に感謝しつつ、大いにブレて社会に貢献できる道を探すのも良いのではないでしょうか?
まとめ
長くなりましたが、この記事の内容をざっくり3点にまとめると、
①”自分を活かせる”あるいは”自分らしくいられる”と思える仕事を見つけるまでは全然ブレても大丈夫
③ただ、”ブレる”ことができていることには感謝しましょう
ということです。
そもそも高校あるいは大学を卒業(僕の場合は中退ですが)して社会に出て色々な情報に触れる間に、”もっと社会にとって役に立っている実感を得ることのできる”仕事を見つけ、その仕事をやりたいと思うことの何が悪いことなんでしょう?
日本では、大学へはやりたいことがあるから行くという風潮があり、おそらく仕事をやめることは悪いことのように考えられている風潮があると思います。
もちろん「なんとなくこの上司が気に入らないから」とか、ふわっとした理由で仕事を辞めてしまうならそれは勿体無いような気もします。
ただ、もしやりたいことが見つかった(あるいは見つかりそう)なら、チャレンジできる環境があるなら全然チャレンジするべきだと思います。
孔子だって自立するのに30歳までかかってますので、20代で今ある仕事に無理してまでしがみつく必要は全然ないのではないでしょうか?
ぜひチャレンジできる環境にあるにもかかわらず、「今の仕事をやめるのは悪いなー…」って思っている人は、その環境に感謝しつつ大いに”ブレて”いきましょう。笑
ということで今回の記事はここで締めさせて頂こうと思います。(変な締め方になりましたが😂)
最後までご覧いただきありがとうございました。
この記事を読んで少しでも気が楽になったと思ってもらえれば幸いです。
よかったら他の記事も見ていってくださいね。