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ファンファンディレクターズノート vol:01 「家賃はまちへの入場料」

はじめまして。
墨田区で2018年から「ファンタジア!ファンタジア!―生き方がかたちになったまちー」(通称:ファンファン)というアートプロジェクトのディレクターをしている青木彬です。
 
このnoteでは、ファンファンの活動の背景にある出来事や、プロジェクトに関わるメンバー個々人の声を通じて、プロジェクトの背景やファンファンがコンセプトにしている「当たり前を解きほぐす学び」や「安心してもやもやする」といったことについて発信していこうと思います。
 
「ディレクターズノート」は、ファンファンを企画・運営していくために参照しているものや個人的な関心など、プロジェクトを中心に置きながらもその周辺を見渡すような広い視野でファンファンについて書き進めていくシリーズです。


プロジェクト名の由来

まずはこの少し長いプロジェクト名の話から始めたいと思います。
「ファンタジア」という語は、美術家のブルーノ・ムナーリが同名の書籍の中で、わくわくするもの、どきどきするものを指して名付けていた言葉に由来します。
墨田区のまちに関わるなかで面白さを感じ、その正体に近づこうとしたとき頭に浮かんだのがこの言葉でした。でも、一言では伝えきれ無いもどかしさから連呼してしまう、そんな気持ちを込めたのが「ファンタジア!ファンタジア!」というプロジェクト名でした。

どんなプロジェクトも、その顔となる名前はとても大切です。特に様々な人が関わるアートプロジェクトでは、懐に飛び込むような軽快さも肝になってきます。プロジェクト名が頭に浮かんだ瞬間、同時にキャッチャーな愛称も生まれました。「ファンタジア!ファンタジア!」略して「ファンファン」です。
口からこぼれ出てしまう「ファンファン」という語感が、ひとりでにプロジェクトの雰囲気を作ってくれたように思います。
「ファンファンだったらきっとこんなことするね」
「ファンファン○○っていうプログラムはどう?」
名前が付いた途端にそんな会話が生まれ、プロジェクトが駆動し始めるのを感じました。

でも、それだけだとプロジェクトのテーマが分かりにくいと思い、サブタイトルをつけることにしました。墨田区のまちに感じた創造力の所以、それはまちを使いこなす人々の振る舞いでした。店舗をユニークにDIYする若い人々、路地にはみ出しながら自慢の園芸を並べるおじいさん、道端に椅子を並べて談笑するおばあさん達。東京の他のまちとは違う独特の雑多さには、そこに住む人々の「その人らしさ」が滲み出ていました。雑多さを醸し出すのはDIYしやすい木造家屋が多いからかもしれませんし、家々が密集するため他人とのコミュニケーションが活発なことも要因かもしれません。都心部のように行政や企業など、大きな組織が行う大規模な開発からは程遠い、それぞれの生き方がこのまちを形作っているんだと感じたのです。
そうして名付けられたのが「ファンタジア!ファンタジア!―生き方がかたちになったまちー」でした。

墨田区との出会い

このまちを「生き方がかたちになったまち」と感じたのは「ファンファン」を立ち上げる少し前、墨田区にやってきた2016年に遡ります。当時アーティストとして活動していた奥村直樹と一緒に墨田区京島の長屋を借りることになったのが、この地域と関わり始めるきっかけでした。

奥村は小伝馬町でDESKokumuraというアーティストランスペースを運営しており、その場所で様々な展覧会やイベントが行われ、アーティストの溜まり場になっていました。しかしマンション開発のために立ち退きになってしまい、新しいスペースを探していたのです。そんな状況の中、奥村が墨田区文花にあるオルタナティヴスペース「あをば荘」で展示をしている際に訪れた地元の不動産屋さんの紹介で、改装自由な長屋を見つけたのです。その日の飲み会で「2人で借りちゃいなよ」と話が盛り上がり、翌日に内見を申し込むのでした。

こうして2016年夏に奥村と2人で墨田区京島に「spiid」という住居件アトリエ、ときどきイベント会場となるスペースを立ち上げました。
spiidの改装は、素人の2人がかじりかけの展示施工の技術で勢い任せに進めていました。木造の長屋なので、大事な構造さえいじならければどうにかこうにかできるもの。壁をぶちぬき、天井をはがし、外にはバーカウンターをつけてと、子供が秘密基地を作るノリで手を加えていきます。必要なものは近所のホームセンターと100均、あとは貰い物で揃えるブリコラージュな空間です。

DIYの好きなところは、自分で欲しいものを楽しみながら手に入れることだと思っていますが、もうひとつ好きなことがあります。それは、一枚の壁を壊すことが、その空間に張り付いていた制度を壊すことに繋がっていることです。
例えば51C型と呼ばれる住宅の間取りがあります。これは戦後の公営住宅に用いられた間取りの型です。当時の課題であった食寝分離を実現した機能的な間取りですが、一方でこれは「家族」という単位を規定していった空間とも考えられます。DIYとはそうして知らず知らずのうちに空間によって規定されていた当たり前を跳ね除けて、自分たちの生活を取り戻すようなラディカルなものだと思うのです。それまでご高齢の方が一人暮らしをしていたというspiidの長屋の改装は、このまちの人々の生活について思いを巡らす時間でもありました。

spiid 

家賃はまちへの入場料

改装がひと段落して、spiidのお披露目会を行なったときに、驚いたことがありました。それはお披露目会の情報なんて大して告知もされていないはずなのに、墨田区で活動する人々がどこからともなくたくさんやってきたことです。そして来る人来る人がみんな、この地域で自分の活動のための拠点を持っていたり、過去に墨田区のアートプロジェクトに関わっていたりと話題が豊富な人ばかりでした。墨東エリアと呼ばれる墨田区北東部は2000年代初頭から様々なアートプロジェクトが行われていたことは以前から知っていたのですが、そのような蓄積を肌で感じることができる瞬間でした。そんな方々との出会いをきっかけに、近隣のアートスペースとの連携企画が生まれることに時間はかかりませんでした。

こうした繋がりはイベントの企画だけでなく日常生活にも及びます。spiidも近隣のアーティスト達の家も風呂なし物件だったため、夜になると銭湯で顔を合わすこともしばしば。ふらふらとまちを散歩すれば必ずと言っていいほどの確率で知り合いに遭遇して立ち話が始まります。突然誰かが訪ねてきたり、近所のアトリエに遊びに行っておしゃべりをするのが日常茶飯事。
spiidは決して広い物件ではなかったのですが、友人達のアトリエ、地域のハヴになっているカフェや個性的な商店、ベンチのある公園、その日の気分で行先を変える銭湯など、まちの中に日常生活を送る場所が点在していて、まるで大きなシェアハウスに住んでいるような感覚でした。さらに週末になればどこかしらのスペースで展覧会やイベントが行われていたので、遊びに行く場所にも困りません。言わば非日常としての「イベント」が日常のあちこちに溶け出しているようなまちだったのです。

そう思っていると、家賃というものが、spiidという物件だけに払っていると言うよりも、このまちで遊ぶための入場料のように思えてきました。それは閉ざされたプライベート空間への対価ではなく、互いのプライベートが接続して出来上がる半公共的なネットワークに対するパスポートの代金です。
そんなパスポートを片手に楽しんでいるのは、自分たちの手で改装をした自宅やアトリエ、アートスペースや商店だけでなく、道にはみ出した路地園芸といった市井の表現、日常に溢れた交歓のひととき。ここには都心とは一味違う雑多さがあり、その異質なもののひとつひとつに誰かの生活や思考の痕跡が感じ取れ、愛嬌が感じられました。

このまちに集まる人々のささやかな振る舞いによってまちのディテールが作られている様子は、まちそのものが有機的な生態系であることを教えてくれました。
これが私にとっての「生き方がかたちになったまち」との出会いでした。

★ファンファン事務局でもあるヨネザワエリカさんが、spiidのお披露目イベントについて紹介している当時のブログ記事も残っています。

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