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読書記録┃ 米澤穂信『米澤屋書店』
読書熱が再熱した今年、今までの本の読み方を変えたい!と思い、《読書論》や《読書ガイド》的な本を読むようになった。
年の瀬に読んだ本書は、図らずも今年読んだ《読書論》や《読書ガイド》を総括する一冊になった。
本書は、著者が各所に寄稿した本に関するエッセイを集積した1冊。
帯に約700作と書いてあるように、出てくるわ出てくるわミステリを中心とした本や作品の数々。
米澤さんが紹介する本はどれも魅力的に見えて、紹介された本の8割は読みたくなる。(8割ってところがリアル)
あらすじの要約なり感想なり、言語化能力が突出しているのはさすがすぎて、習うにしても高すぎる目標なので一旦こちらは置いておく。
しかしどうすれば読んだ本を自分の中で消化して、しっかり持っておけるのだろう?
著者は人生で何冊本を読んでおられるのだろう。きっと膨大な数読まれているのだろうけど、その中で寄稿先のテーマに合わせて該当する本を縦横無尽に脳から引き出せる、そのからくりを知りたい。
と言うのも、私の場合、読んでも忘れてしまう本が多いからだ。
働き始めてから今年頭までの一時期を除いて、本を読んできた人生だと思う。
まあ、本当の読書家からしたら大した読書量ではないけど。
せっかく読んだ本を忘れてしまう悔しさ。なんなら読んだこと自体忘れてしまう切なさ。
どうやって読めば、読んだ本のことを覚えていられるのだろう?
そんな疑問に対して、本書から得られるひとつの答えは、「文脈」に関係がありそうだ。
文脈。
そういえば、《読書論》や《読書ガイド》を読むきっかけにもなった、三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』でも「読書は文脈を読むこと」(意訳)と言っている。
正直、これを読んだときは「文脈」の意味が分かっておらず、そのままスルーしたと思う。
ぶん‐みゃく【文脈】
1 文章の流れの中にある意味内容のつながりぐあい。多くは、文と文の論理的関係、語と語の意味的関連の中にある。文章の筋道。文の脈絡。コンテクスト。「文脈で語の意味も変わる」「文脈をたどる」
2 一般に、物事の筋道。また、物事の背景。「政治改革の文脈でながめると」
[類語]語脈・脈絡・コンテクスト
いや、辞書的な「文脈」の意味は分かっているつもりだし、ここで言われている「文脈」は2の意味なんだろう。
でもしっくり来ていなかった。
それが本書を読んで、やっと「文脈」の意味がわかってきた気がする。
例えばAという作品を紹介した後、この作品はBという本から続く系譜で…と歴史的な観点から見る。
あるいはAという作品は優れたハウダニット(How (have) done it、どうやって犯罪を成立させたかの観点を中心に展開していく)で、同じくハウダニットが優れた作品と言えばCとか。
他にもAの主人公は芸術の才能に悩んでおり、これはDという作品にも通ずる、とか。
つまり、ひとつの作品を色んな方向から紐付けていくのだ。
紐付ける理由はなんでもよくて、舞台が同じとか、猫が出てくる作品とか料理の描写が美味しそうな作品とかも文脈が関連する作品同士となり得る。
自分なりでいいから作品同士の関連を結んで、読んだ作品が孤立しないようにしておく。
そう思うと、かつての読み方は<東野圭吾>の<ミステリ作品>くらいの括り方しかしていなかった。
それは作品が孤立して忘れ去られるよなあ。
とは言え、文脈を探すのは難しい作業らしい。
確かに、最近読んだ本を思い返しても猫が登場するか否かはすぐに分かるが、エッセンスを抽出するのは難しい。
わからないときは、先人に頼ることだ。頼るとは判断の放棄ではなく、敬意を払うことである。私も多くの人に、多くの本を教わった。
(中略)。文学賞や新人賞の選評を読むのも面白い。当代きっての読み手たちはどのように本を読んでいるのか、名人の技を盗み見るような感じがある。そうして本を読んでいくうち、無数の相対評価の果てに、自分はどのような本をもってよしとするのかが見えてくる。
単に「好きな本」「お気に入りの本」を超えて、自分の読書にとっての原点とは何であるかが定まっていくのだ。
ふむ。
最近文庫本の解説のありがたみが分かったのだけど、こう言うことだったのだな。
もう一段掘り下げたいところだけど、今回は一旦ここまで。
以上!
読了:2024年12月13日 #119