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読書記録┃クラーク『幼年期の終わり』
近年で最も話題のSFといえば劉慈欣の『三体』だろう。
若干乗り遅れた感もあるが、年末年始の休みを利用して『三体』を読み切ることができた。
『三体Ⅰ』の解説に、「作者の劉慈欣はクラークのファンで、『三体』にも随所に影響が認められる(意訳)」とあり、ならばと『幼年期の終わり』を続けて読んだ。
地球上空に、突如として現れた巨大な宇宙船。オーヴァーロード(最高君主)と呼ばれる異星人は姿を見せることなく人類を統治し、平和で理想的な社会をもたらした。彼らの真の目的はなにか? 異星人との遭遇によって新たな道を歩み始める人類の姿を哲学的に描いた傑作SF。
なるほど、『三体』と『幼年期の終わり』には共通点と相違点が見られる。
共通点と相違点を頭の中で挙げながら、『幼年期の終わり』を読み終えた。
ところで、『幼年期の終わり』を読むきっかけとなったのは『三体』だが、購入に至った経緯はまた別にあった。
出口治明『ぼくは古典を読み続ける』で『幼年期の終わり』が挙げられており、秋に購入したものの、積読していたのだ。
『幼年期の終わり』を読了後、『ぼくは古典を読み続ける』を読んでいた際の読書メモを見返した。
宇宙人が出てくるSFとして思いついたのがこの本です。この本も非常に現代的なところがあります。AIに政治をやってもらったほうがうまくいくんじゃないかと言う人もいますが、この作品は、AIに政治をやってもらったらどうなるかのシミュレーションのような物語でもあります。
視点の違いにハッとした。
『三体』と『幼年期の終わり』の共通点・相違点に注目して読んでいたけど、斜め後ろ45度から見るような、見方を変えて読むということができていなかった。
『三体』も『幼年期の終わり』も、人類を超越した存在が登場し、人類の発展に手を貸すことがある。
そのとき世界はユートピアとなり、人類は労働から解放され、長寿となる。
ここで、人類を超越した存在=AIと置き換えてみる。
AIは人類のために開発されたのだから、人類を喜ばせるように発展していくだろう。
今はAIに人が学習させているが、きっと近い未来、人に情報を与えるようになるのはAI側になる。
人類の技術では越えられない地球存亡の危機が訪れた時、AIはその事実を滅亡直前まで人類に教えないのではないか?
改めて考えると、『幼年期の終わり』というタイトルはなんと秀逸なんだろう!
視点を変えて読む。
《人類を超越した存在が宇宙から来たら》から《人類を超越した存在が現れたら》に一歩抽象化して読む。
そう思うと、年末に読んだ野﨑まど『タイタン』は人類世界を支えるAIの調子が悪くなって、生活の一部が立ち行かなくなる危機に陥る話だった。
下記の記事でも書いてるけど、読書は色々な方向から串刺しにして紐付けると記憶に残りやすいと思っている。
視点を変えて、連想ゲーム的に繋げていく。
ま、言うは易く行うは難しなんですが。
視点を変える技術どうやって身につくんでしょう。
今はブックガイドや誰かの評論・解説に頼りきり。
なにも考えずに読む読書も好きなんですけどね。
野﨑まど『小説』でも読むだけで良いと肯定されているし。
でも読書体験をより豊かにしたい。
読みっぱなしにしないためにnoteに書く。
今年もよろしくお願いします!