長編小説「ザ・デイドリーム・オブ・ティーンネイジャーズ」③
(三)
少しして僕も教室を出ようと扉を開けると、廊下の壁に寄りかかったエマがいた。
「びっくりした!こんなところで何しているの?」
「マイクを待ってた。」
「えっ、何それ。」
「あんなマイク見たの初めてだったから、何だか心配になって。」
「そんな心配しなくたって、大丈夫だよ。大げさだな。」
「大げさじゃないよ。本当に心配したんだから。ルーカスも心配してた。で、何があったの?屋敷がどうとかこうとかって、言ってたけど。」
僕は、俯いた。
「言っても、多分信じないよ、エマは。」
「そうかもね。でも、マイクが何かに困っているのは分かってる。どうせ信じられないような話かどうかは、話してみないとわからないじゃん。そもそも、一人で悩んでいてもしょうがなくない?」
「確かにね。それは、そうかもしれないけど。だって、町はずれの屋敷に行ったら、死体が壁から生えてきて、ジャックの犬の足が突然、溶けだしたり、そこで、突然、黒い男の子が出てきて、気がついたら、教室で理科の授業を受けてるんだぞ。こんな話、信じられないでしょ。それに、一緒に行ったはずのルーカスは覚えていないし。」
エマは、しばらく沈黙していた。「もう少し、詳しくは聞いちゃダメ?」と、エマは僕に真剣な顔で言った。今の覚えている範囲で、彼女に事件の全容を伝えた。話すたびに、こんなにも摩訶不思議な状況に陥っていることに、目を向けたくなるような気持ちになった。一通り話終わって、僕は、エマからの突き放した一言が投げかけられることを予想して、静かに、その時を待っていた。
「でもさ、本当にうその話なんだったら、そんな誰もが嘘だと思うような話なんかしないよね。マイクは、そんな変な嘘で注目を集めようとするような人じゃないし。で、先生は、なんて?カウンセラーでも、紹介された?」
「いや、詳しくは、話はしていないんだけど、もしかしたら、『パラレル・ワールド』かもねって、冗談交じりに言ってけど。なんか、穴が突然現れて、別の世界に移動したことがある人を知っているみたいで、その話をしてくれた。僕のことを心配しているのか、それとも単なる好奇心なのか、ちょっとわかんないけど。」
「好奇心って、何よそれ。仮に、本当にパラレル・ワールドなんだったら、それは大変なことじゃない?あなたは、この世界とは違うマイクってことになるし。そもそも、壁から生えた死体とか、黒い男の子の正体とか、それに、屋敷を調査していた大人たちのこと……不思議なことがいっぱい。」
「そうだね、そうなんだよ。自分が体験したことが、本当なのか嘘なのか、もう、何が何だか分からなくて。」
そんな会話をしていると、食堂のほうから、ジャックとジェニー、そしてルーカスの三人が、こっちに向かってくる。
「マイク、食堂にも来ないから、心配して探し回ったよ。」
そう声を掛けてきたのは、ルーカス。小走り気味で、三人はこっちにやってくる。ルーカスは飛び上がったかのように、僕の肩に乗りかかってきた。
「なんだよ、乱暴な。」
「心配して、損したぞ。ちゃっかりエマと愛を育んでるんだからさ。」
「別に、そんなんじゃない。」
ジャックも、僕の左腕を掴んで、「あの日のことを、思い悩んでるのかと思ったわ。」とからかってくる。ジェニーは、その姿を見て、楽しそうに笑っていた。
「みんな、そんなに平和な感じでは、なさそうよ。」
そう話を切り出したのは、エマだった。僕に絡んでいた二人も、少しだけ体勢を正した。そして、はじめに、エマの投げかけに反応したのは、意外にもジェニーだった。
「平和な感じじゃないってどういうことなの。マイクが、理科の授業で居眠りして、悪夢を見たってことじゃないの?また、あの屋敷でのことが関係しているの?」
「またって、どういうことだよ。」
僕は食い気味に、問い質してしまった。ジャックが、「そんなに、語気を強くしなくたっていいだろ?」となだめてくる。ジェニーに寄り添うように、エマは「何があったの?」と言った。
「だってさ、ジャックのところと、私のところには、怪しい大人が調査しにきたりさ、ラダーだって、連れていかれて、やっと、ジャックのところに戻ってきたところなのに。それで、マイクまで、なんか変なことが起きたっていうならな、私たち、呪われているわよ。」
「おい、ジャック。これ本当なのか?」と僕。ジャックは、気まずそうに、頷いた。
「つい、2週間前くらいの話だよ。あの日の本当にすぐで。」
「なんで言わなかった。」
「言うタイミング、なかった。」
「友達じゃなかったのかよ。そもそもさ、最近、付き合いは悪いしさ。」
ルーカスが、割って入ってきた。
「はいはい、そのくらいにしておいて。そもそも、マイクからも、屋敷での話とか、今日のことも聞いていないから。僕にとっては、お互い様だよ。そんなことより、状況の整理のほうが先じゃないか。」
あの状況を体験したことがないから、そんな冷静なことを言えるんだ。僕の内心は、そんな感情でいっぱいになった。不貞腐れている僕の代わりに、エマが説明してくれた。
「パラレル・ワールドか……。本当にそうなら、とんでもないことが起きてるよな。状況証拠的には、そんなことが起きていても、不思議じゃないことが起きている気もするな。」
「そう考えると、僕のうちに来た大人が頻りに、機械をいじらなかったかみたいな話をしてきたんだけど、もしかして、そんな機械があったのかも。」とジャック。ルーカスが、「それを、ここの世界とは別のマイクが使って、ここに来たってことか?なんか、考え出すと本当に分からなくなるな。」とつぶやく。
自分は、どこにいて、どこから来たのか――まったくわからない。小学生の頭脳では、到底解決できない難題が、空気を凍らせてしまった。
「まあ、でも、今は、マイクも元気だしさ。情報が集まってくれば、なんか事件の輪郭は分かってくるよ。」
僕らの話がまとまりかけてきている時に、食堂のほうから、ヤジのような掛け声が繰り返し聞こえてくる。廊下のエコーがかかって、一瞬、何を言っているのか分からなかったけど、「食べろ!食べろ!食べろ!」と、声の正体が明らかになってきた。ちょっと待って、これって、あの時の掛け声か?確か、ビッグボブが、ジョナサンのランチをぐちゃぐちゃにしてた。
「この声、聞いたことがある。」
「えっ?」と、ジャックが聞き返してくる。
「この声、聞いたことがあるんだよ。同じ声。ジョナサンが、ビッグボブにいじめられていて。もしかしたら、僕は過去に戻ってきているのかも……。」
「いつものことじゃないか。フェルナンドがいじめられるのは、日常の光景というか。いまさら、それでタイムスリップしてきたって言ったって。」
「日常の風景にしてはいけないのよ。」と、正義感の強いエマは、走り出していた。
「エマ、相手はビッグボブだぞ。やめとけよ。」と、ジャックは引き留めようとしたが、彼女の耳にはその声が届いていない。僕ら三人は、顔を見合わせて、後についていくことにした。
「何してんのよ!」
食堂にエマの声が響き渡る。食堂にいる生徒たちの視線が、一斉に集まる。しかし、もうビッグ・ボブたちの姿はなかった。それに、生徒の数も昼食時のマックスの人数ではなくて、テーブルがまばらに空いている。その中心で、ジョナサンは、下を向いて、涙をこらえている。彼の周りには、踏みにじられたサンドイッチに、吐しゃ物が散乱している。
「ネイサン、大丈夫?また、ビッグボブにやられたの?」
エマは、優しく彼に問いかけたが、ジョナサンはまだ下を向いている。ジョナサンの近くに座っていた、同級生のグウェンが、痺れを切らしたかのように、「ビッグボブは、今、先生に追いかけられて、逃げているところなの。今日は、ネイサンに対して、本当にひどくて、サンドイッチを踏みつけて、それ、ネイサンの口に無理やり入れたり……。それで、ネイサン、吐いちゃって。」と説明してくれた。
「グウェン、ありがとう。でもさ、なんで、ネイサンがここまでなるまで助けなかったの?しかも、ここに私が来た時、ほったからしだったし。みんなが傷つけていると思わないの?」
僕は、「やめておこうよ。ビッグ・ボブに、逆らえる奴なんて、そんなにいないし。」となだめた。今のエマが知らない、〝あの時〟の自分を庇うかのように、僕は言葉を並べた。
「そうかもしれないけどさ、ムカつくじゃない。なんで、こんなに人がいるのに、一人の人を助けることができないのよ。一時の不安を乗り越えて、人を助ければいいのに、その勇気がない人ばっかり。」
「分かった。分かった。でも、まずは、ジョナサンの周りを片そう。こんな、言い合いしても仕方がないし。」
エマは、「仕方がないって、何よ。マイクは、本当に、何もわかってない。」と語気を強めて、僕を責めた。少し頭には来たけど、申し訳なさそうにしているグウェンが視界に入って、何とか冷静さを取り戻した。「ごめん。ごめん。」と、僕はエマの怒りをいなしながら、黙々と片付けを始めた。僕の隣に来たルーカスは、にやりと笑いながら、「お前ら、夫婦みたいだよな。」とからかってきた余計の一言に対しては、「うるさい」で撃退してやった。
「でもさ、何でジョナサンばっかりをビッグボブは狙うんだろうな。他にも、冴えない生徒は大勢いるのにな。」
ルーカスは、その敵意のない好奇心で、誰にでもなく問いかける。
「僕も、一時期、ビックボブに目をつけられて、大変だったよ。なんか、お前は、『奴隷だ』なんて言われて、殴られたりしたし。」
僕は、そう告白した。その時に、助けてくれたのは、ジョナサンの時と同じく、エマだった。そんなことが頭をよぎった。
「へえ、そうだったけ?でも、ジョナサンへのいじめは、本当に長いし、しつこくない?どんどん、ひどくなっているし。このままだとさ、本当に、大けがとかの大事になりそうな気がする。」
まるで他人事のように、冷静に話しているルーカスに対して、ジャックは話に参加してきた。
「ビッグボブは、自分の手で誰かを不幸にするのを会館に覚えてるんだよ。ジョナサンは、気味が悪いくらいに、勉強ができるだろ?それが気に食わないんじゃない?あいつは、本当に頭悪いし。」
「そんなことで?」と、エマは呆れた。
「ごめんね。こんなことに巻き込んじゃって。本当に、僕は情けないよね。」
ジョナサンは、申し訳なさそうに言った。僕らは、「そんなことはないよ。」と急いで、フォローした。黙々と、淡々と片付けをしてくれていたジェニーは、「でも、嫉妬じゃない、ビッグボブの。みんな、自分みたいに不幸になってほしいんだよ。」と冷静にいった。エマが、「どういうこと?」と聞き返す。
「だって、ビッグボブの両親って、再婚じゃない。そして、お父さんは、海軍出身の厳しい人みたいで。いつも、厳しい虐待に合っているとかなんとか。それに、血のつながらない弟が出来がいいみたいでさ、家に居場所がないんじゃないの?」
「なんで、そんなにビッグボブのことに詳しいの?」
ジャックは、訝しそうに質問した。
「だって、家が近くだし。うちの両親が話すんだよね。」
ビッグボブも苦しんでいる――僕が全く予想のしなかった、その人物像を受け入れられなくなっているところだった。そんなことを考えていると、ジョナサンは、「僕は、ビッグボブの生贄なんかでも、ストレスのはけ口でもない。何にも知らないくせに。」とつぶやいた。僕の耳には確かに届いていたが、それ以外の皆には、その言葉は届いていないように感じた。
「ジョナサン、大丈夫?ビッグボブは、逃げてしまって。こんなことにならないように、先生も気を張っておくから。」
そう言って、食堂に入ってきたのは、生徒指導のオリビア先生だった。多分、ビッグボブが食堂で騒いでいるのに気が付いて、注意で入ってきたんだと思う。
「エマ、ジェニー、マイクに、ルーカス、ジャック、本当にありがとう。ジョナサン、この学校には、心優しい生徒もたくさんいるから、あんまり思い詰めてはいけないわよ。あっ、服が汚れているじゃない?体育ジャージに、着替えてきたら?」
オリビア先生は、歴史の先生で、50代くらいの年配の先生。自分ではおそらく、生徒から慕われていると思っているが、実際のところは違う。授業中には、よくヒステリーを起こすし、今回のようなビッグボブの時のような明らかな〝悪事〟だけではなく、かなりの理不尽なことでもよく生徒を叱っている。そのこともあってから、オリビア先生といると、気味が悪い緊張感に包まれてしまう。ましてや、二人でいるところを目撃されると、生徒からからかいの目で見られる。そんな存在の教員だ。
「ジョナサン、体育ジャージは、持っているの?」
「今日は、体育がないので、もってきていないです。」
「あら、そう。でも、このまま、授業に出るのは、可愛そうね。学校に着替えがないかどうか、一緒に見に行きましょうか?」
ジョナサンが、答えを迷っている時に、食堂に、授業の開始直前を知らせるチャイムが響く。
「早くしないと、授業が始まってしまうわね。みんな、ありがとうね。ここからは、先生がやっておくから、みんなは授業に行きなさい。」
僕らは、言語化できないような同情心で、ジョナサンのもとを離れるのは憚れた。しかし、オリビア先生の眼光が鋭く、僕らを寄せ付けない笑みを浮かべている。まるで、魔女にでも取り込まれるかのように、ジョナサンの表情は重く、暗いものになっている。僕らは、後ずさりしながらも、各々の授業の教室に戻ることにした。
「こっちだよ。」
どこかで聞き覚えのある声が、急に聞こえてきた。急いで、振り返ったかが、その姿は見えなかった。でも、ジョナサンは、オリビア先生越しに見える窓の外を注視していた。まるで、そこに何かがいるように――。この時、胸騒ぎがしたが、これだけで魔女・オリビアに対抗する勇気が湧いてこなかった。
④へと続く