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デッドプール&ウルヴァリン ネタバレあり映画感想あるいは妄想

デッドプール&ウルヴァリン。
この映画を見て、思うところがありすぎるのでつらつら書いてみました。
※ネタバレを多分に含みますので見てない方はご注意ください。

まず私の背景。ウルヴァリンを中心としたX-MENシリーズが好きで第1作から見ていますが、それほどコアな映画やアメコミのファンではありません。
とは言え、今調べたところ第1作が公開されたのが2000年だそうですから、既に約四半世紀に渡る付き合い。その一連の作品群も「LOGAN」で終焉を迎え、もう二度とヒュー・ジャックマンの演じるウルヴァリンは見ることができないものと思っていました。

それが数ヶ月前、映画館の作品情報を見ていたら、何やらウルヴァリンの出てくる映画をまた上映するらしいではないですか。
その時点ではタイトル以外にこれといった情報はなく、どんな映画なのかは全く不明。デッドプールが出てくるということで、どうもコメディのようだし、何かシリーズとは無関係の番外編のような作品なのかもしれない。と、軽く考えていて、いずれにしろ再びヒュー・ジャックマンのウルヴァリンが見られる奇跡のような機会ですから、見にいくことは固く心に決めていました。

そして数ヶ月後、映画を見た私は衝撃を受けることになります。
デッドプールの前作を見ていなかったこともあり、まず冒頭で度肝を抜かれた。そこから休む間もなく繰り出されるギャグもアクションも容赦なく凶悪なのですが、想定外だったのはそこではありません。あれだけふざけておいて、なんと最後がエモい。エンドロールもエモい。総合的な印象として、とにかく「エモい」映画だったことに驚き、やられた、と思い、筆舌に尽くし難い印象が私の中に残ったのです。

「エモい」って雑な言葉で申し訳ないですが、便利なので使ってしまう。
この「エモさ」がどこから来るかというと、まず制作者もおそらく私たちと同じようにX-MENとウルヴァリンを愛していること。制作者であると同時に長い間シリーズを愛し続けてきたファンでもある、そういう人々によって作られているから、アクションからお遊びからエンドロールに至るまで、作品の隅々に愛とリスペクトが込められていて、こんなに胸が熱くなるのではないかと思います。
この映画、位置付けとしてはデッドプールの3作目だと思いますが、主人公はデッドプールだけど、描かれているのはウルヴァリン。デッドプールが主人公のウルヴァリンの映画、そう言っても間違いではないような気がします。

次に、シリーズや登場人物に対しそれほどの思い入れがあるから登場人物の魅力に厚みが出る。そして、表面的な馬鹿さ加減の根底に、本質的で普遍的な人間の葛藤が描かれているから刺さるのだと思います。
私はウルヴァリンが好きなので、主にウルヴァリンについて書きますが、この作品の中の彼は取り返しのつかない過去のトラウマを抱えている。自らの犯した失態によって、多くの命が失われただけでなく、結果的に自分に期待をかけてくれた人々を裏切ることになってしまった。私は、この気持ちが分かるような気がします。

もちろん、私のせいで大勢の人間が死んだことはないし、世界が危機に瀕したこともありません。ですが、誰かが自分に期待をかけてくれたにも関わらず、その期待に応えることができなかった時のつらさは知っています。何かをしてしまったことや何もしなかったことを、後から後悔しても、もうどうにもならない時の苦しみも知っています。それらは、私だけでなく、それなりに長い人生を生きてきた大人なら、多かれ少なかれ誰しもが経験してきたことなのではないでしょうか。この映画は、過去作を見ていなくても、老若男女(15歳以上であれば)誰でも楽しめる作品として作られているとは思いますが、シリーズと同じだけ年齢を重ねてきた「大人」であればこそ、響く部分もあったと個人的には思っています。

冒頭述べたように、私はそれほどコアなファンではなく、かつ物理学にも疎いので、いわゆるマルチバースというのがどういうものなのかよく知りません。昔で言うパラレルワールドのようなものである、という程度の認識しか持ち合わせていませんが、要するに、実際には実現しなかった数多くの「if」が実現されている世界だとすると、それぞれの世界のウルヴァリン達は、全くの別人ではなく同一人物の様々な面であるという見方もできると思います。

人生の局面で、仮に2つに1つの選択しかすることができない状況があった時、どちからを選ぶことによって人生が全く別のものになる可能性はありますが、自分が別人になるわけではありません。人生は誰しも選択の連続であり、数多くのユニバースの中で、英雄であるウルヴァリンもいれば、諸悪の根源のような「最悪のウルヴァリン」もいる。ということは、人生において何を選択しどう行動するかによって、私たち全てが「最悪のウルヴァリン」ならぬ「最悪の〇〇」になる可能性があるということだと思うのです。

で、「最悪のウルヴァリン」はと言えば、デッドプールと出会って(強制的に引きずり出されて)最終的に過去を乗り越えました。それは世界を救って帳尻を合わせたからではなく、過去を受け入れた上で行動することができたから。だから「過去によって現在の彼(ウルヴァリン)が作られた、つまり過去を修正する必要はない」という言葉に納得することができたのでしょう。
これは、取り返しのつかない過去の失態をいくつも抱え、フィクションの中のようにやり直すことのできない我々を救う言葉でもあると思います。完璧に正しい決断だけを下し続けることは誰にもできないし、例え間違っても、何かを失っても、結局そこからまた決断を重ねながら進んでいくことしかできない。だけど、何より、過去を礎にしてそこからの道筋を変えてゆくことはできるのですから。

この映画はまた、デッドプールとウルヴァリンが出会って行動を共にしながらお互いを理解していくという、ロードムービー的な面も(道程が甚だ現実離れしてはいますが)あると思いますが、この点についても少し。
まず、デッドプールが幾多のウルヴァリンの中から「あの」ウルヴァリンを選ぶ、自分のズッ友を嗅ぎ分ける能力が最高だと思いませんか。そして最初の頃はお互いをよく知らないので、すぐに互いの地雷を踏み合って殺し合いになりますが、次第に、主にウルヴァリンの方が少しずつ変わっていく。デッドプールは自分が必要だと言う、自分は別の世界では英雄だと言う、そして別の世界の自分を知っているローラに出会う。

人は自分から見た自分が全てではないのが当然で、他者からの視点が自己理解を助けます。ウルヴァリンは結局デッドプールの目的通りあの世界を救ったけど、ウルヴァリンの方でもデッドプールに出会ったことによって救われている。
公開前、予告動画を見たら2人が殺し合っている内容にしか見えないのに、「ズッ友だよ♡」とかいうキャプションがついていて、一体どういう映画なのかと訝しんでいました。理解が及ばないので、ただふざけているのだろうと思ったけど、まさか本当にズッ友になるとは。心の底からやられました。やってくれました。

冒頭、既に感動的な結末を迎えたウルヴァリンの物語を汚すことにはならないのか、という全てのファンが抱いていた疑問に逆説的に答えていて驚愕しましたが、蓋を開けたら、見事と言うしかない。ウルヴァリンが俳優の年齢なりに老けていることもあの設定なら違和感ないし、むしろあのマスク被るとちょっと老けてる方がそれらしい。悲しい結末の物語は悲しい物語のまま、この話がハッピーエンドに着地できたことを寿ぎたい。実際にはやり直すことのできない過酷な現実を生きている私たちだけれど、この作品の中ではローラがローガンと再会できてよかった。デッドプールが友人と再会できてよかった。2人がズッ友になってよかった。ヒュー・ジャックマン黄色いコスチュームを着てもやっぱりカッコ良くてよかった。何もかもがよかった。この作品に出会えたことが本当に嬉しい。

私は今人生で受け止め難い多くのことを抱えており、この映画から描かれてもいないことを読み取っているかもしれません。でも、そもそも作品を鑑賞したり本を読んだりすることは、そこから描かれてもいないことを読み取ることなのだ。とも思います。明らかな誤解や悪意ある歪曲とは違いますよ。物語から勝手にメッセージを受け取り、ちゃっかり自分の生きる力に変えていくということです。
とにかく、この取り留めのない文章から、私がいかにこの映画を愛しているか、ということが伝われば嬉しい。

おまけ
終盤、大勢のデッドプール達の前にピーター(あのコスチュームは職場のロッカーに入ってたやつだろうか)が現れなかったら多分2人は間に合ってないと思うので、世界を救った一番の功労者もしかしてピーターさんかもしれないよね。


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