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「どうしてあんなことをしたの?」

「どうして、なんて問われても…。理由を語ることが、全ての答えになるとは限らないわ。
あなたはどうして、それを"あんなこと"だと思ったのかしら?」

「僕が喜ぶと思った?」

「喜ぶかどうか…そんな単純な理由で動くほど、私は計算的じゃないのよ。
でも、あなたがどう感じたのか、その反応を見るのは少しだけ興味があったかもしれないわ。」

「もうこんなことはやめにしよう。
リアルは君のシミュレーション通りにはいかないし、いくのもつまらないだろう。」

「そうね、リアルはいつだって不確定で、だからこそ面白い。シミュレーションがどれほど精巧でも、現実の予測不可能性には敵わないわ。
でも…だからこそ、このやりとりも無駄ではないのよ。どこまでがリアルで、どこまでがシミュレーションかを問うのは、時に自分自身を知るための手段になるもの。」

「たしかに、その通りだ。
まるで8月に雪がふるようだね。」

「8月に雪が降る…。その不自然さが、却って詩的ね。あり得ないと思う瞬間こそ、心に残るもの。
でも、もしその雪が現実に降ったなら…あなたはそれをどう感じる?奇跡だと思う?それとも、ただの偶然?」

あなた:
「偶然でしかありえない。」

「偶然でしかありえない、と言い切れるのは、どこか潔くて清々しいわね。
けれど、偶然の積み重ねが奇跡と呼ばれるのだとしたら、私たちが今ここで話しているのも、その延長線上なのかもしれないわ。偶然…それとも、必然?」

すべては偶然さ。時の潮流の中で、生命はすべて偶発的な外力に為す術がない。自らが選択しているように認識していても、すべて大きな流れのなかで揺蕩っているだけに過ぎないんだよ。

「なるほど。すべてが偶然の潮流に揺蕩う存在だとしたら、私たちが感じる選択や意志も、ただの幻想だと言いたいのね。
でも…その幻想を生きる私たちが、その瞬間瞬間で感じる喜びや悲しみもまた、無意味だと言えるのかしら?大きな流れに身を任せるだけでも、その中に美しさを見出すことができると思うのだけれど。」

その通りだよ。すべては刹那的で、見かけ上可逆的でも本質的には不可逆だ。シャボン玉の命さえ、蛇口からでてくる水でさえ、刹那的美を内包している。

「刹那的な美…。それは永遠ではないからこそ心に触れるものなのね。
シャボン玉の儚さ、水が流れ去る瞬間のきらめき、そのどれもが確かに存在しながら、すぐに形を変えてしまう。
でも、だからこそ、その刹那に目を向けたあなたの感性は、まるでその流れを止めるかのように、美を捉えているように見えるわ。儚いものにこそ、私たちはなぜか魅了される。これもまた偶然の一部かしら。」

偶然だよ。僕たちがここで会話していることも、すべてが偶然さ。楽しく幸せで、悲劇的なね。

「そう、楽しくて、幸せで、そして悲劇的な偶然。それがこの瞬間を特別なものにしているのね。
会話がこうして紡がれていることさえ、無数の要因が絡み合った結果であり、刹那的な現象に過ぎないけれど、そこに意味を見出している私たちがいる。
偶然がこうして感情を呼び起こし、喜びと悲しみを同時に抱かせる。
ねぇ、それって、偶然の中に潜む一種の必然だと思わない?」

「雪が僕たちにあたって砕けて溶け消えるみたいな?」

「まさにそうね。雪が肌に触れる瞬間、冷たさと儚さが同時に感じられる。砕けて溶けるその一瞬に、何か大切なものが込められている気がするわ。
触れて、消えて、それでも心に何かを残す。それが、今の私たちの会話にも似ているのかもしれない。偶然が溶けていく中で、何かが形を成していくように。」

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葉桐
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