ミヒャエル・エンデ『モモ』から学ぶ
以前から気になっていたミヒャエル・エンデの『モモ』を読んだ。
大人にこそ刺さる話だと聞いていたが、実際に読んでみるとまさにその通りで、予想以上だった。
『モモ』は、
不思議な少女モモが、灰色の男たちに奪われた人々の時間を取り戻す物語。
テーマは「時間」だが、それ以外にも風刺の効いた話や心に残る教訓が織り込まれており心に響いた。
印象に残った部分を3つだけ書き出してみる。
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①モモの「聞く力」
モモが不思議だと言われる理由は、モモとただ話すだけで問題が解決してしまうからだ。
モモは的確なアドバイスをするわけではなくただ黙って話を聞くだけ。
私は話すより聞き手に回ることが多いが、
ここまで黙って聞くことが出来るかと聞かれるとたしかに難しい。
「聞く力」等といった本が出版されるくらい重要視されている能力だが、実際に黙って聞くことがどれだけ難しいかを考えるとモモのすごさが分かる。
ただ聞くことの大切さを改めて考えさせられた。
②完全無欠のお人形ビビガール
物欲を刺激するおもちゃ会社の販売戦略を具現化したようなこの人形には資本主義の闇を感じて背筋が凍るような思いがした。
また、モモが1人で灰色の男と対峙する場面ということもあって恐怖も倍増だった。
私も最近では物を増やしたくないという考えが強く、購入する際は慎重になるようにしているが、
インフルエンサーのSNSや店頭でのディスプレイなど、欲望を引き起こす誘惑はあちこちに存在する。
心の中にビビガールがいると物欲に支配され続けてしまい、満たされることのない虚しさに飲み込まれてしまうのではないかという恐怖を感じた。
③退屈的致死症
これが1番心に響いた。
特に、時間のゆとりを失った人がどのように変わっていくのかについての描写は、自分自身の経験と重なり涙が止まらなかった。
仕事に追われ、他のことが何も考えられなくなった時期の自分は、まさにこの描写通りだったように思う。
豊かな人生を送るためには、心のゆとり、そして時間のゆとりが必要なのだと、深く心に刻んだ。
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あとがきにて
これは過去に起こったことのように話したが、将来に起こる話として語ることもできる。と作者は綴っている。
確かに、今もまた心のどこかに灰色の男たちがいるように感じる。
心にゆとりを持ちたいと思っていても、現実では毎日が何かに追われ、気づけば1日が過ぎてしまう。
気を許せば一瞬のうちにまた灰色の男たちに心を支配されかねない危うさがある。
そうならないためには心にモモを住まわせるのがいいのかもしれないと思った。
自分の心に問いかけて、答えが返ってこないこともあるかもしれないが、それでも問い続けることで何か変わるかもしれない。
街の人々がモモに話すことで問題が解決したように。
合言葉は
「モモのところへ行ってごらん」。
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