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具体例)学習の「理解」と「トレーニング」

 前回、学習とは「理解」と「トレーニング」に分けられますと書きました。ピンとこないと思いますので、具体例を出していきます。

 カレーライスは、手順さえ守れば誰でも簡単に美味しく作ることができます。私は、料理が苦手なので、スーパーで先にルーを買って、書いている材料を一つ一つ確認しながら買っていきます。
でも悩んでしまいます。「じゃがいも3つ」って書いているけど、どれくらいの大きさを買えばよいの?「5人前」って書いているけど、作りたいのは4人分なんだけど、、、。
奮闘しながら、買い物を終わらせて帰宅。手順を一つ一つ確認しながら、作っていきます。焼いたり煮込む時間も手探りですので、その日により野菜が固かったり、味が薄かったり、できてみないと分かりません。
でも、一応は、カレーらしきものができあがります。これが、手順を「理解」して、できた状態になります。

 しかし、このような有様で、「私はカレーを作れます!」と自信をもっていってもよいでしょうか。集団での集まりでカレー担当を立候補してもよいでしょうか。外国人に、「これがカレーライスです!」と自信をもっていってもよいでしょうか。
誰もが認める形で、「カレーを作れる」と言ってもらうためには、トレーニングが必要です。

 季節によって、食材を変えたり、食べる人を思い浮かべて野菜のサイズを考慮したり、肉の種類や気温によって味の濃さや味付けを変えていきます。それらを頭の中で瞬時に、柔軟に判断し作れるようになって、初めて「カレーが作れる」と言えるのではないでしょうか。そのためには、ひたすらトレーニングを積んでいくしかないのです。

 自動車免許の試験も同様です。座学で交通ルールを理解し仮免許をとっても、路上に出ると頭で考えている余裕はありません。歩行者いた場合、その人が子供なのか、大人なのか、高齢者なのか、一人か、集団か、歩いている、走ってる、スマホや会話に夢中になっているのかを瞬時に判断しなければなりません。それらが判断できて初めて自動車免許を取得できます。

 勉強も同じです。九九を理解することと、九九を言えることは別問題です。例えば、7の段であれば、かける数が1増えると、答えは7ずつ増えていく、これが理解になります。
でも、「28個のちょこアイスを7人に配ると、一人いくつもらえる?」という問題で、7ずつ足していくと時間が経って、アイスが溶けてしまいます。ある程度素早く反応できるためにトレーニングが必要なのです。

 少なくとも大人は、子どもに「理解」を教えているのか、「トレーニング」をさせているのかを認知した上で教えていく必要があります。理解していない子にトレーニングをさせて、「どうして間違えるの!!」「さっき言ったでしょ!」と叱っていないですか。逆に、トレーニングが必要な子に、学校とは異なる教え方をして混乱させていないですか。
 「理解」と「トレーニング」を意識して、勉強はおもしろいって思ってほしいですね。

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