『プロミシング・ヤングウーマン』もし自分の大切な人が性被害にあったら
去年の暮れ、2021年のアカデミー賞で脚本賞を受賞した『プロミシング・ヤング・ウーマン』を見た。
性被害という重いテーマではあったけれど、予告のラストが分からないハラハラ感と大どんでん返しを期待して視聴。
filmarksで比較的高い評価がついていたので楽しみにしたが、期待通り、満足の映画でした(見た後はテーマの重さにチーンとなりますが)
簡単に紹介すると、性被害を受けた女性が、男性たちに復讐していく映画。
予告編を見て、てっきり主人公の女性が性被害にあったのだと思っていたら、実は親友が性被害にあったせいで自殺してしまい、男たちへの復讐劇に踏み込む話。
レビューでは「なんで自分のことじゃないのに、そんなに復讐してんの?」なんて意見もあるようだが、逆に私は自分ではなく、身近な人が性被害にあったらという視点に、ものすごく恐怖を感じてしまった。
あらすじ
※以下はネタバレを含みます!まだ見たいという方は、映画を視聴してからまたご覧いただけると幸いです!見る予定もないよ、という人は、ぜひご覧ください。
キャシーの親友、ニーナは大学時代に強姦されたことをきっかけに自殺してしまい、キャシーもその事件をきっかけに大学を中退する。
ニーナの事件は結局ニーナ側に過失があるとされ、うやむやに。2人とも医学部で前途有望であったが、事件のせいで将来を閉ざされてしまう。
その後、キャシーは10年たっても過去を清算することができず、毎夜クラブでデートレイプを繰り返す男たちに復讐する。
30を過ぎても同居しているため両親からは煙たがれ、小さなカフェでアルバイトをしながら静かに暮らす生活。
しかし、偶然にも医学部時代の同級生ライアンと再会し、次第にひかれ始めるが、学生時代の彼と再びつながることによって、ニーナをレイプした容疑者たちとも再びつながり始め……という感じ。
映画自体の感想
アカデミー賞脚本賞ということもあり、ラストは全く予想がつかないお話で、大いに良い意味で期待を裏切られた……。
途中「こうなるかな?」という予想はできたけれど、絶対こうなる!という確信は持てず、大どんでん返しを食らいました。また主演のキャリー・マリガンの演技、どこか陰のある彼女の演技がとても素晴らしくて、映画が進むうちに映像に魅入ってしまった。
愛する人が被害者の立場になることで、一気に自分事へと問題を引き寄せられる。
冒頭でも書いたけれど、この映画の主人公はキャシーという女性。
けれど、レイプされた被害者はキャシーの親友ニーナ。
私は、この性被害を受けたのは自分ではなく、大切な人だという設定だったからこそ、この作品に対してあれやこれやと思いを深められたのだと思う。
というのも、私は御年アラサーの年齢で、もう大学生グループが行う飲み会に参加することもなければ、もともと警戒心が強いこともあり、一晩のアバンチュールとはほど遠い人生だ。
もちろん、性被害の中には突然、赤の他人から一方的な性暴力を受ける類の事件もあるので、それは私にも関係ない話じゃない。
けれど、自分の生活とはかけ離れているこの手の類の映画やニュースを見ると、今まで何処か他人事のように感じていたのだ。
けれど、どうだろう。
もし自分の友達がキャシーと同じ立場だったら?
自分の姉妹だったら?
-娘だったら?
愛する人の話になると、人は見方が一片に変わってしまう
ちょうど映画の中でも、キャシーの行った復讐の一部に、復讐相手の娘を人質にとって、ニーナが受けた性被害と同じことをさせるシーンがある。
(映画ではフリだったが)
復讐相手は医学部時代の教師。
当時、ニーナが事件を告発しても取り合ってもらえず、その後もみ消したというのだ。
キャシーがニーナのことを問い詰めると「私にどうしろと?告発のたびに、将来有望な若い男性の人生を潰せと?」「疑わしきは罰せずだから」と、さもニーナが、そのようなレイプ事件に巻き込まれるような生活を送っている方が悪い、というように非難に近しい態度をとっていた。
しかし、キャシーに自分の娘がさらわれたとなった瞬間、さっきと態度が一変する。
「何のマネなの?まだ若い娘よ!」とキャシーを問い詰め「狂ってる」とヒステリックに非難する。
それに対し、キャシーは「男とっては十分大人よ」と言うのだ。
そう、そうなのだ。
ニーナがレイプされたのは、教師の娘とほぼ変わらない年齢。
つまり、男にとっては高校生も大学生も十分大人な年齢なのには変わらないのに、こと愛する人の話になると、人は見方が一片に変わってしまう。
さっきまで自分の意見とまったく異なってしまう矛盾性を、とても恐ろしいほどに描いているこのシーン。
ざわざわと私の心を逆なでして、喉がつっかえたように苦しい気持ちになってしまった。
自分の身を守れる女性を育てるためには、娘に何を伝えたらいいのだろう
私は子供を産んでないし、母親になるかどうかもわからない。
けれど、本作を見て「将来もし娘を持ったなら、どのように自分を守る術を教えるのか」ということも、ニーナと、キャシーの復讐を見ながらぼんやり考えた。
自分の価値を下げるような行動はしないでほしい…いや、違うな。
女性として、嫌なことはしっかりと男性に伝えられる女になりなさい…違う。
どれを考えても、心に響かない一方的な説教にしかならないことにイライラする。
そして、おそらく将来の自分は、響かない私のメッセージに自分自身で苛立ち、「クラブに行くな!」「帰ってこい!」などと、昔自分がうんざりしていた家族からの小言と同じようなことを言ってしまう気がする。
今は母親になるかはわからないけれど、あの頃、なんとなく感じていた孤独は、理解できる親でありたい。
高校生が終わると同時に、いきなり始まるお酒の付き合い。合コン。
いきなりセフレなどという単語が飛び出し、男女の付き合いが一気に濃密なものに変わるし、オープンになる。
自分もはじけなきゃ、という焦燥感。
男たちからの目線は一気に値踏みするような目線に変わり、容姿が良い子ほど得をする世界になっているのだ......という絶望感。
こういう自分が当時感じていた気持ちは、忘れたくない。
結局、仮娘にどう伝えるかの答えは出ていないけれど、20年後くらいには、自分の言葉で伝えられているといいな。と心底思った映画なのでした。ちゃんちゃん。