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長谷川潾二郎 エッセイ「タローの思い出」⑧
ある冬の夕暮だった。アトリエから出た私は炬燵にあたってぼんやり夕食を待っていた。側にタローが座っていた。それを見ていると、タローが家に来てから、永い時間が過ぎたことを考えた。その時、ふと私は、タローの履歴書を作って見ようと思いついた。
私はすぐペンと紙を用意して、寝そべったまま書き出した。私は履歴書を書いたことがなく、書き方を知らないが、思いつくまま勝手に項目を作った。すると笑談が次から次と出て来て、忽ちのうちに書き上げた。最後にタローの署名を書いたが、此処にはどうしても印が欲しい所だ。しかし生憎タローは印判を持っていない。そこで拇印を押すことにして、タローの片っ方の前足の裏に赤い絵具を塗って名前の下に押した。先ず先ずの出来である。これを読んで家内も長男も大笑いした。ことに家内は面白がって、何度もくり返して読んで笑った。彼女はこの文章のファンになった。
タローの履歴書
【姓名】 タロー
【現住所】 東京都杉並区神明町二九番地
【出生地】 東京都世田谷区上北沢町二ノ六七六番地、文士長谷川四郎宅
【本籍地】 エジプト国、デア・エル・バハリ神殿、スフィンクス通り
二ノ一ノ十一
【職業】 睡眠研究株式会社社長、万国なまけもの協会日本支部名誉顧問
【学歴】 幼時家庭教師につきてフランス語と音楽を学ぶ。
(注 フランス語は特に次の二つの文章につきて造詣深し。
Te chat sage boit et mange avec sobriete
賢き猫は節制をもって飲食す
Vivez coformement a cegue vous croyez
汝の信ずる所に従って生きよ
音楽はクラシック、特にフランソワ・クープラン、及びエリッ
ク・サティーの曲を愛好す(注 ラジオの前にて首をうなだ
れ、謹聴のポーズをとり、時に幽かに尾をふりてテンポの可否
を確める事あり。
【趣味】 食事(注 特有の美食の感覚発達す。即ちある種の食品は絶対口
にせず。フランス料理を食べ、おでんを食べ、清元を聞きたる後
にベートオベンをきくと言った主人等の雑色文化を好まず。一本
すじの通った純粋な世界の形成を愛する都人士の風格あり。好き
なもの、アジ、牛乳、貝類、チーズ、バターつきパン、など。
(食欲のない時は決して食物を口にせず。満腹だけれどおいしそう
だから、一口食べて見よう、などと言う主人の愚行を真似ず。
【体重】 ずっしり重し
【身長】 不明 時により変化す
【特技】 有り(注 鼠はとらざれど、庭にて小鳥をとるハンターとしての
技術神技に似たり。足音なく歩むこと。白昼に夢の線を描き、明
瞭なる幻影の存在を示せり。
【賞罰】 有り。(注 且つて悪戯をして女主人にしかられたる事あり。そ
の時、目をとじ、耳をたれて床の上に平たくなり、さらに平たく
なり、女主人の大きな声を出す度ごとに平たくなり、床と同じ平
面になりしやと怪しむ程なりき。以後このように叱られたる事実
なし。台所の台に上らず、食卓に登らず、主人家族の食事中、
騒々しく鳴きて走り廻る如きはしたなき行為に出でず。常に紳士
として、家族のよき一員としてのエチケットを守れり。
右通相違之無候
タロー
拇印
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※本文、読みやすいよう、今回はカッコ、改行しました。(りんこ)