最適な私を折りたたむ焼きそば
■はじめに
言葉として「不足」したり「適切で無い」にも関わらず、
それが意味として通じる言葉がある。
どうしようも無く、これが気になってしまった。
■不足している「折りたたみ」
例えば、不足している例は「折りたたみ」である。
本来は「折り畳みが出来る傘」であるにも関わらず、我々は「折りたたみもった?」で通じ合う事が出来る。
だれも「折りたたみ式の自転車」だとか「折りたたみ式のスマホ」だとか勘違いすることは無い。
しかしなぜだろうか?「折りたたみ」と略すのは言葉として冗長だからだろう。しかし、「傘」である事を共通認識とする事ができるのはなぜだろうか。それは逆説的に他の物を「折りたたみ」と略すことは無いから「傘」である事がわかるのだろう。
では、なぜ他の物を「折りたたみ」と略す事がないのだろうか。
それは保有している機能性の違いでは無いだろうか。
自転車であってもスマホであっても利用するシーンにおいて、「折りたたみ」でなければならないシーンはほぼ存在しないと言っていいだろう。
基本的にコンパクトにして折りたためるだけであって、自転車もスマホも持っていく際は必ず本来の機能を使用するはずだ。
しかし、こと折りたたみ傘においては「念のため」「コンパクトに」保有しておく。実際に本来の傘の機能を利用するかどうかは雨が降るまでわからない。この「念のため」「コンパクトに」保有しておく事に着眼しているが為に「折りたたみ」の言葉に重きを置いているのではないだろうか。
「折りたたみ持った?」
と母親に言われて
「持ったよ」
と一万円札を折りたたんでポケットにしまう殊勝な方がいたら是非友達になりたいものだ。
■適切で無い「カップ焼きそば」
コンビニで気軽に買えるおいしい「カップ焼きそば」。
UFOだとかペヤングだとか一平ちゃんだとか。
しかし、よく考えてほしい。
入れてあるものは「カップ」だろうか。
基本的に「カップ」とは持ち手のある茶碗の様な形状を指すが、カップ焼きそばが入っている容器の形状は箱型だったりボウル型だったりするわけだ。
さらに、「焼きそば」と言っているが、
一体どこで焼いているのだろうか。
明星の製造工程サイトを見てみると以下の工程になっている。
出来た麺を油で揚げて乾燥させている。
そして我々は食べる時これにお湯を入れているだけだ。
どの工程でも「焼き」を行ってはいない訳だ。
さらに言えば「そば」とあるが、本来そばはソバの実を使った蕎麦粉を加工した麺類であるはずである。
しかしながら、どの焼きそばを見ても小麦粉・食塩・かんすいが主成分であり、どこにも「そば」は含まれていない。
正確に表現するなら「箱揚げふやかし中華麺」では無いだろうか。
全く美味しくなさそうなので、今まで通りで良さそうだ。
しかし、逆に考えてみれば通常の「焼きそば」の味を知っている我々が、この「カップ焼きそば」を食べても「焼きそば」であると感じる事が出来るのは素晴らしい企業努力では無いだろうか。
■終わりに
「不足」したり「適切で無い」言葉について調べ、考えてみた。
しかし、考えてみるとそれは日常に合わせた「最適」である様に感じた。
最適な私はまだ見つからない。