ゴミの汚染と規格の多様性~種~
■はじめに
お茶のペットボトル、お肉のトレー、お皿、ビニール袋。
我々は日々の生活の中で多くのゴミを消費している。
その多くはプラスチック製品であり、石油を原料とした化合物で作られている。海洋汚染だとか、二酸化炭素排出による温室効果がとかごくごく当たり前の話がそこにはある。
しかし、私が気になったのはそこではない。
「なぜ規格化されていないのか?」
である。
■規格化への提起
例えば、全てのお皿の規格(大きさ・重さ・材質等)が揃っていれば食洗器がより効率的な洗浄が行えるはずだし、規格が定義されているが故に部屋への備え付けもより増えてくるはずである。
全ての洗剤の規格(サイズ・一回当たりの使用量)が同じであれば、洗濯機の機能も変わるはずだし、詰め替えなんて事を考える事すら不要なはずである。
食材のトレーが同一規格であれば、冷蔵庫への収納の仕組みも変わるだろうし、処分時の分別にも困らないはずである。
ペットボトルの規格も同一となれば、ペットボトルを入れておく収納も変わってくるだろう。
そして、それぞれの商品規格が揃う事で梱包の規格も揃うはずである。
配送においても今より遥かに効率の良い手段を取ることが出来るだろう。
つまり、言い換えると「商品の規格化をすることで得られるメリットが多いはずなのになぜそれをしないのか?」になるだろう。
規格化を厳密にした社会ではどんな事が起こるだろうか。
効率化された未来をイメージしてみる。
■規格化・効率化された世界
全ての商品が規格化されると言うことは、そこに差異を感じにくくなると言うことだろう。
どのシャンプーを使おうが大して違いが無くなってくる。香りや価格での勝負になるが、大きく差異が出せないのであればユーザー側は必然的に一つの商品を選ぶようになる。
そうなると、「商品」だけでなく「企業」に対しても社会は効率化を求める様になってくる。
つまり、一つの商品を一つの企業で効率的に生産するようになるだろう。
効率を求める様になると次第に多様性が失われていく。
本来「様々な機能やブランド力を使って競っていたシャンプー」が効率性を求める事で「ただのシャンプー」になるのだ。
そうなると、「おばあちゃんの家に入った時の香りシャンプー」みたいなちょっと変わった商品が生み出される事が無くなる。
■生物の種の多様性
この構造は生物の絶滅と種の多様性の構造に良く似ている。
一つの種の中に複数の多様性を持つことが出来た生物が生き残り、そうでなかった生物が絶滅していく。そんな感じだ。
もし仮に世界で「人間にとってシャンプーが不要だと証明された」とか「頭皮が勝手にきれいになる人間が現れた」等の事象が起きた場合、その瞬間にシャンプーと言う種は絶滅するのだ。
この時、先ほどの「おばあちゃんの家に入った時の香りシャンプー」は「おばあちゃんの家に入った時の香り」を嗅ぎたいと言う一定の特殊な層へのニーズが残り絶滅を免れる。
企業と商品が変化し続けていき、生存していくためには社会全体としては非効率である方法もあえて選択していかなければならないのだろう。
環境省のデータによると現在も生物の種は減少を続けているようだ。
その自然環境が反映する事と人間社会が変化し継続していく事(=非効率性によるムダと環境破壊)、が相反する多様性を求めているのはなんだか皮肉なものである。
■終わりに
ふと非効率な世界に疑問を持って考えてみた。
しかし、よくよく考えるとなにより私が一番非効率な人間だったかもしれない。
私は絶滅しない。
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