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人生に大きな影響を与えた名言

人生に大きな影響を与えた名言


名言。誰かが言った言葉は時を経て誰かに届く。
時にはその言葉が人生に大きな影響を与える。

私の人生に大きな影響を与えた名言。
それは

「明日、あなたが楽しいと思えるように。今日夢を見る」

である。
これは思想家であり小説家でもあるTeilhard Verne(テイヤード・ベルヌ)の言葉で、「今日の辛さから夢と言う世界に逃げると同時に、明日の期待をそこで掴む」といった逃げる事自体を肯定し、明日への期待に挑戦する様な非常に前向きな言葉である。

Teilhard Verne

この言葉の良い所は、今の境遇から逃げる事を肯定してくれる所と、逃げる事への罪悪感が減り未来の事を考えられる様になる事だ。

この言葉には浪人中の図書館で出会った。
少しくすんだ「ヨーロッパの偉人 名言集」が棚の端で傾いていた。
手に取ってパラパラとめくりこの言葉が目に留まった。

浪人と言う社会的な失敗。自身への絶望、両親への罪悪感、 孤独感、不安と焦り、ただの試験に落ちただけの話ではあるが、この時様々なマイナスの感情に押しつぶされそうになっていた。

しかし、この言葉を目にして「あぁ、そうか。私は私の明日の幸福を望んで良いんだ」「その為に今日の辛さから逃げたっていいのか」と思う事が出来た。

その日からずっと私は私の幸福を望んでいる。

Teilhard Verne(テイヤード・ベルヌ)の一生


Teilhard Verne(テイヤード・ベルヌ)はフランスのロガール川の近くにある、小さな街に生まれた。両親はブドウ栽培を営んでおり、母親は時々町の学校で臨時講師として子供たちに読み書きを教えていた。

一人っ子のベルヌは時折母親に本を読んでもらい、5歳にはほとんどの絵本が読めるような秀才に育っていった。

一人で本を読むのが好きだったベルヌは、ロガール川のほとりにある市政の図書館に毎日通い、蔵書一つ一つを書写していった。蔵書のほとんどを書写し終わる頃にはベルヌは15歳の青年に育っていた。

18歳の頃、悲劇が起こる。母親が流行り病にかかり病死してしまう。母親の死にひどく絶望した父親はベルヌを残してロガール川に入水してしまう。

一人となったベルヌは一度母親の親戚に引き取られるが、2年後直ぐに住み込みの蒸気機関整備の仕事を始める。
20歳になり日々苦手な肉体労働をしながらも、文章を書き始める。

ここから35歳までの間、小説「j'espère pour demain」や「bonheur invisible」等多くの文章を書いた。32歳には蒸気機関整備の制服を仕立てている服屋の娘と結婚し息子も生まれた。

しかし、37歳になり肺病を発症してから寝たきりになる。病床でも文章を書き続けたベルヌはさらに多くの小説を残す。

そして39歳。その一生に静かに幕を閉じる。

言葉と音叉


ベルヌが書いた文章の一部が名言として抜粋されていたのだろう。私が見たのはその一文だけだった。

しかし、彼の一生をみると何度もおとずれる辛い境遇に抗い、楽しい未来に期待したのだろうと想像する事が出来る。

たった一文が未来の誰かの心に音叉の様に響いている
そんな素晴らしさを言葉は有している。

言葉は時間を超越する


さて、言わずもがなここまで全て架空の内容だ。
超越しなさそうである。



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