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【絶対】と【相対】をアウフヘーベンしてみた
正論ほど、人を傷つけるものは無い。
という言葉を聞いて、どう思うだろうか?
人が悲しみにくれているとき、その悲しみを癒やしてくれるのは、眩しすぎる太陽の光ではなく、優しく包み込むような月の光だったりするのだ。
今回は「絶対」と「相対」の関係性について深堀りした後、自分なりにアウフヘーベンした主張を述べてみた。
では早速。
「絶対」という言葉から連想するのは「正しさ・真理・客観的」みたいなワードが想像できると思う。
人は絶対にいつか死ぬ。というのは、今のところ、絶対と言える。
「相対」という言葉から連想するのは、「人それぞれ・変化する・主観的」みたいなワードが想像できる。
僕はミョウガが嫌いだ。というのは、相対的な意見といえる。現に、妻はミョウガは好きなのだから。
では、これら2つ「思想」が、人類にもたらしたものを考えてみると、
「絶対的な思想」は、
・争い
・発展
を、招いてきた。
「相対的な思想」は、
・調和
・衰退
を、招いてきた。
つまり、
俺がぜってー正しいんだ!!という思想・主張が大きくなると、国家間の戦争まで拡大することになる。
争いの火種はいつも「正論のぶつかり合い」と言える。
一方、
人それぞれだよね〜という思想は、争いは無くなるのと同時に、向上心が失われ、発展の歩みが止まり、衰退してしまうことになる。
現状維持は、「衰退の始まり」と言える。
つまるところ、
絶対的な思想で主張をすることも、発展するためには重要。
相対的な思想で主張をすることも、調和するためには重要。
ただ、それぞれの思想・主張が「過度に大きくなる」と、バランスが崩れ、戦争だったり、衰退の原因となってしまうのだ。
アリストテレスが唱えている倫理学の中で「中庸」という概念がある。
これは、「ほどほどが一番だよね〜」という意味ではなく、一般的には「極端ではないこと、偏っていないこと」を示す。
つまり、
「考え方なんて人それぞれだし、ほどほどが一番だよね〜」という思想は、「相対的な思想に偏っている」ので、中庸の概念から見れば良くない状態と言える。
なので、「中庸」というのは、偏っていない状態であり、言い方を変えれば「今の状況に応じた適切な行動が大事」ということ。
戦争状態においては、もちろん戦争を終結させ、いち早く調和が保たれている状態に戻すことが「適切」だろうし、
平和ボケして何の発展もなく、衰退の一途を辿っている状態ならば、あえて競争心(戦争の火種をつくるという意味では無いよ)を煽り、切磋琢磨させることで発展のきっかけをつくることが「適切」かもしれない。
では、ここからは「絶対」と「相対」が招く、
・発展
・調和
について考えてみる。
まず、「正論」というのは、「固い」という性質を持っている。
頑固オヤジなんて言葉もあるように、自分の意見が絶対に正しい!!と思っている人の意思は「固い」。
固いからこそ、冒頭に話したように、時には人を傷つけてしまう場合もあるのだ。
でも、「固い」という性質は、発展には欠かせないものである。
「固い石」と「固い石」が何度もぶつかったらどうなるだろうか?
もちろん、一部が欠けたりするかもしれないが、それ以上に「磨かれる」のだ。
刀鍛冶職人が、刀をガーン!ガーン!と、ハンマーで打っている場面を想像してみるとわかりやすい。
鉄と鉄同士を何度もぶつけ合い、砥石で研ぐことで、強度が増して、鋭さも磨かれていく。
「正論」という「固い意見」をぶつけ合うことで、意見が磨かれていき、高次の意見へと進化する場合もある。
これは、ヘーゲルで言うところの「アウフヘーベン」だ。
ドイツ語のアウフヘーベンを日本語に翻訳すると「止揚(しよう)」になる。
「止揚」という言葉の意味は、
固い意見と意見がぶつかることで一度は「止まる」。そして、2つの意見が合わさり、より高次な意見へと「揚がる(上に昇る)」ということ。
なので、「正論」を主張し、ぶつけ合うことで、人類は前に進めるし、「発展」することもできるというわけだ。
次に、「調和」について考えてみると、
人それぞれだよね〜という「相対的な思想」がもたらすのは、「相手を受け入れる・理解する心」だ。
お互いの意見・価値観を受け入れ、理解することによって、手を取り合うことができる。
そして、「絶対的な思想」と「相対的な思想」をアウフヘーベンするために、欠かせない要素として僕が思うのは、
「リスペクト」だ。
正論をぶつけ合って研磨するためにも、お互いの意見・価値観を受け入れ、理解するためにも、根底には「相手に対する尊敬の念」が無いと破綻してしまう。
尊敬が無いからこそ、ただ正論のぶつけ合いになり、戦争まで拡大してしまうことになるし、
人それぞれだよね〜という思想で向上心が失われてしまうのも、相手に対する尊敬の念だったり、関心が無いからだ。
相手に対する「リスペクト」があれば、正論をぶつけ合っても前に進めると思うし、
相手に対する関心が芽生え、お互いをより高めようという向上心が生まれてくるはず。
まとめると、
相手の主張を馬鹿にしない。頭ごなしに否定しない。まずは、一旦受け入れる。そして、お互いの価値観・主張に敬意を払い、より高次の結論にたどり着けるよう高め合う。
そんな状態こそ、「絶対」と「相対」をアウフヘーベンした状態なんじゃないだろうか。
と、僕なりの主張であり、理想を語ってみたよ。
おわり。