葬送のフリーレンから学ぶ
年末年始に葬送のフリーレンというアニメを一気見した。
アニメとしてとても面白いだけではなくて、少し考えさせられるアニメだった。
考えさせられたからこそ時間の許すままに一気見してしまった。
今回はこのアニメで感じたことをアウトプットしていきたい。
あらすじ紹介
あらすじは主人公の魔法使いフリーレンとその仲間たちの冒険のどこにでもあるようなアニメ。フリーレンが普通と違うのはエルフであるっていうところ。エルフは人の何百倍も生きる。だから他の冒険者(人)にとって長いと感じる10年も短い間だったと感じてしまう。第一話では魔王を倒した勇者ヒンメルとの10年間の冒険も短い間だったという描写もえがかれていた。
その生きる長さゆえに出会う人との数も多い。
出会っても人間の持明はエルフと比べて短いからすぐに別れがやってくる。
だからフリーレンは出会ったその人のことを知ろうとしない。人を知らないからこそ共に冒険した勇者ヒンメルとの別れの際も悲しい感情すら湧かなかった。
勇者ヒンメルを表すなら作中の中のヒンメルの「ほんの少しでいい。誰かの人生を変えてあげればいい。きっとそれだけで十分なんだ。」という言葉で充分伝わるだろう。
とても刺さる。ヒンメルが多くの人間に慕われるのもよく理解できる。
フリーレンにとっても勇者ヒンメルという人間は偉大な存在だったのだろう。
ヒンメルとの別れでフリーレンはヒンメルという人を知ろうとしなかったことに’’後悔’’した。
長いあらすじ紹介になっだけどこのアニメはそんなフリーレンの「人を知る旅」の話である。
人として人を知るとは
フリーレンから学べるように長い人生で多くの人と出会ってもその人のことを知ろうとしなければその人は人生の中のただの1ページになってしまう。
人はエルフほど生きられない。だから出会う人の数も少ない。多いと感じるか少ないと感じるかは人それぞれだけれども
1人1人との出会いを大切にしていかなくては短い人生きっとフリーレンのように別れの時に後悔する。
限られた時間の中でちゃんと人を知ろうとしているか改めて考えさせられた。
今の話をしている
作中で特に心に刺さったのは13話「同族嫌悪」という話。フリーレン一行が僧侶のザインを仲間に加える話。
ザインは過去に友人の戦士ゴリラに冒険に誘われるがその誘いに乗れずに後悔していました。
なりたかった冒険者になること、友人に会いに冒険にでることを諦め、フリーレンたちの誘いも諦めた自分をあげて、断ろうとします。
どうせ、いまさら…
そんなことを考えるザインに対してこれまで時間を大切にしていなかったフリーレンが
「私は今の話をしている、今会いに行かないと近い未来きっと後悔する」
この言葉から学べるようにいつだって今を生きてるわけで、過去がどうだったとか関係なくて、今どうしたいかが大切なんだと思う。
良いアニメって内容がいいだけじゃなくて万人に何か刺さるものがあるから面白いと感じて見るんだろうなぁ
伝えたい何かがあってアニメを作成していてそれに気づけることにとても意味を感じました。
葬送のフリーレン、とても良い話なのでぜひ見てください
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