前世に実態はないし、あまり意味がない
私たちが素粒子の集まりならば、意識を向けたものが真実であり、過去生や未来生は空想上の概念になる。前世はあくまでもイメージであり、個人の物語を紡ぎ出すためのツールでしかない。
自分で思い出した前世ならまだしも、人に鑑定してもらった前世は、必ずその鑑定者の世界を通ることになり、鑑定者というフィルターを通した前世となる。事実ではなく、真実である。
また、ある個人が、憧れの芸能人、歴史上の偉大な人物を心の中で思い描き、何らかの感情を抱くことができたならば、もうそれはその人たちと繋がっていることになり、ご縁があるということになるのだ。
自分で自分と繋がったり、他者と繋がったり、精神世界を創り上げていく。
肉体も然りである。私たちはこの地球上の、宇宙の森羅万象と繋がっている。物質化した素粒子たちは絶えず交換し、循環し、巡り巡って変化し続けている。本当は一つも自分のものなんてない。勘違いした私たちは、自分の足で動いていると思う。宇宙本当は全体で動いている。
こう考えると、一つも失敗なんてないし、そこにいい悪いなどとレッテルを貼るのがバカらしくなる。
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