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やさしい気持ちで

今日は3年目初日。
勤怠を申請するときにどこで勤務したかのフラグを付けるのだが、
3月は1日しかオフィスに行っていないことにそこで気付いた。
それくらい久しぶりのオフィス出社だった。
そして、出社するためにはもちろん満員電車を乗り継がなければならない。
そこではじめて人のあたたかさに触れた。
すごくあたたかい気持ちになり、嬉しかったので
そのことについて書こうと思う。

いつものように人と人がこれでもかと密着密集する電車のなかに。
次のホームに着くたびに何度も開いたり閉じたりを繰り返すドア。
内から圧迫されながら、
必死に職務を全うしようとしてくれるドアには感謝だ。
自分がドアなら、「もういいよ、そんなに押すなら落とすよ?」と
言ってしまいそうなくらいよく耐久してくれている。

他にも駅で大きな声で降りますと中から宣言する人、おそらく大切な人を必死に守ろうとする高校生、ママーと呼ぶ子供、険しい顔でずしんと立っているおじさま。たくさんの人がそれぞれの目的地に、生活をするために向かっている。考えていることも人それぞれなはず。

だけど、なんとなくだけど、、
満員電車の乗客の多くに共通していることがあると感じてしまう。
それは顔が険しい、もしくは暗いということと
誰かを気遣う余裕がないということ。
どちらも「私はそんなことない」と胸を張って言うつもりはない。
私もその一員になることだってもちろんある。
ただ、自分がありたい姿と比べた時に
明らかに反しているのは自分でもわかっているので
ふと我に返る時が度々ある。

顔が険しい、暗い。
多くの会社員が同じような顔をしている。
自分で働くと決めて赴いているのに
まるで強制的に連行されているような顔。
働かないという選択肢だってあるはずなのにと
なんだか寂しい気持ちになる。
もっと世界は広いと思う。漠然とそう思う。

私はその姿をみて、あえて手を広げるようにしたり、
空気を大きく吸ってみたり、空を見上げてみたり、
目一杯、いまを身体に吸収しようと試みている。

誰かを気遣う余裕。
多くの人が急いているのだと思う。
それは出社時間だけではなく、人生あらゆることに。
満員電車はドアがゆっくりと開いた瞬間
堰を切ったかのように人がなだれ出ていく。
我先に我先に自分以外の人を押し付けながら最短経路を目指す。
ワンピースやドラゴンボールがなければ
説明がつかないし、納得もいかない。
仮にあったとしても、誰かをないがしろにする人には手に入らない。

そんな人口雪崩に巻き込まれ、
電車を出たら小指から血がドバドバと出ていた。
痛いよりも先に「なんそれ」と思った。
たぶんどなたかのバッグやらジッパーやらを
押し付けられた際に切れてしまったのだろう。
痛いなぁと感じるとともに少しだけ不思議な体験ができて
ラッキーだとも感じた。

でもやっぱり痛いので
乗り継いだ先で折れてないかなぁ、痛いなぁと
眺めたり、いじったりしていた。
すると、急に肩をツンツンされる感覚。
視線を合わすとそこには見知らぬ女性、手には絆創膏を持っていた。
血がドバドバの私を見かねて
すっと絆創膏を差し出してくださったのである。
「あの日、あの時、あの場所で」と
東京ラブストーリーが流れそうになるくらいな奇跡的な展開だった。

人の優しさに触れると思っていなかった場所で
不意にとびっきりの優しさに触れた。
降りる駅がたまたま一緒だったので、
追いかけて感謝を伝えた。
もう心はぽかぽかで、こんなしあわせな気持ちになれるなんて
怪我をしてよかったと思った。
3年目、幸先がいい。

たまに乗り換える時、ホームでうずくまっている女性を目にする。
皆素通りして、先を急ぐ。
私も先を急いでしまう時がある。
先を急ぎながらも手を差し伸べられなかったうしろめたさを感じる。
機械的に自分とは関係ないと心を閉ざすことは簡単だ。
でも、自分ではない誰かに共感しながら繋がっていきたい。
そんな人でありたい。
そう改めて思わせてもらえた、いい一日。
明日も仕事だ、寝る支度をしよう。

世界中のだれか一人でも、ほんの一瞬でも
温かい気持ちで繋がれたらいいな。
今日もよき人生の旅路を

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