歯科医の帰りの寿司
午後のだらだらから、一念発起して、しゃきしゃき動き始める。
ボランティアの予定を、先日行った施設へ連絡するも、担当者が不在にて、折り電の予定となる。
なぜか、電話が嫌いだ。楽しい電話でも、とにかく電話して、なにかが始まるのが、予想できないから、ただ何となくいやなのだ。
この性質で、何度となく冷や汗をかいている。約束を反故にする、忘れて被るなど。
予定のタスクを、淡々とこなすのも非常に苦手だ。
高校を卒業して、専門学校に行ったけど、すぐに中退した。犬の訓練士になろうと軽く考えて、入学したのだけど。未来がなさそうという理由で、学校に行くことをやめた。
両親には申し訳ないことをしたと思う。
今は、犬猫のアレルギーで、近づくこともできなくなった。
信念や情熱をもって、自分の人生設計を真剣にしていたら、今とは違う人生なのだろうな。
でも、それは、今のわたしとも違うから、やはり、一日ずつ今は、誠実に生きていこうと思うのだ。小説を書こうと、もがいているのが、今のわたしだからだ。 卒業して、就職活動をすることとなった。 そのころのわたしは、もとが地黒なのに加えて、川釣りとか、外でひたすら親友だった女の子と遊んでいたため、真っ黒で、そして金髪だった。金髪と黒い肌で、よく面接にうかったかと思う。ギャルでしょ、とよく言われた。 今のわたしを知っている人からすると、信じられない言動・態度で、まあ、浮いていたと思うけど、楽しい会社員時代だった。今もつきあいのある同僚もいる。
仕事はどうしてクビにならなかったのだろう、と思うレベルすれすれで、発注や受注間違いや、システムのデーターをオールクリアしてしまったり、勤務態度も、客との電話中に眠ってしまったり、社長のタオルを漂白してしまったり、遅刻や、ズル休みもしたこともある。大声でどなられたし、でも、かわいがってももらったな。
仕事中にミクシーを更新したり、ギターのコードを印刷したり、現在そんな奇行を働く人物が、職場にいたなら、ソッコー 労、働、基、準、監、督、署、に通報したのち、職場の投書ボックスに、ワードとかで、逐一あばいてやるのにな。 計画をたてて、予定をこなすことができないとか、先延ばしにするとか、発達障害の特徴にあてはまったりする。 ま、生きてる人全員にあてはまる箇所もあったりだね。 わたしは診断を受けてはいないが、きっとなにか、名前を付けられるかもしれないと思ったのは、ここ十年くらいだ。 どうして、まともにできないんだろうと思ったとき、ああ、そうかと腑に落ちることがたくさんあった。
脳のつくりの問題ねーと、自分を許してあげられた部分もある。
なんとか、午前に予約した家族の歯医者へ向かう。
図書館で借りた、いしいしんじ著、「書こうとしない「かく」教室」を一冊、鞄に。
地下鉄の駅で、家族と待ち合わせする間、ぱらぱらと本をめくる。
彼の著作を借りて読むのは今までなかったはずだけど、どこかで「ごはん日記」を読んでいたようで、すうっと文章が頭に入ってきた。けっこう初期の石井さんは、はじけた人だったんだなーと意外性を感じる。ほっこりした人だと勝手に思っていたのだ。
家族と地下鉄に乗り、歯医者がある駅へ。いつもは、漫画か本か、読み物をもってくるのに、手ぶらで来たため、スマホでなにかみる? と尋ねると、断られたので、わたしは、話もせず、いしいさんの本の世界へ逃避する。
話すことも、見つからない、話したくない、話しても、きっと、嫌みを含んだ話題で、自己嫌悪にもなりたくなかったし、でも、外にでると暗い顔をしている家族の顔をみると、やはりわたしの責任を強く感じてしまう。
もっと、なんとかしなければ、親として母として。
焦りだけがいつもある。
家という存在が、枷となり、自由でなくなる。 細部まで明瞭に書くことはできないのに、思わせぶりにここに日記として公開して書いている。卑怯なのか。その行為はいったい何なんだ。わけがわからなくなる。
歯医者では、待合いでひたすら続きを読んでいた。書くことに対しての姿勢が、自然で、文章の隙間からあふれてくる、やわらかさと優しさと、夫婦とお子さんとの健やかな関係性。滋味深いなと思いながら、全部読むのはこわいから、途中でやめる。
幸せに浸されそうで、怖い気がした。
植本さんの日記はどうしてすらすら読めるのだろう。
彼女が不幸だから、とか、幸せに見えないからとか、思っているわけではない。
同姓で、年齢が近くて、子供が女の子で、二人で、文章が好きで、という共通点からだろうか。わからないけど、最近、坂口恭平や植本さんの事を、実際に会ったことがある知り合いみたいにして考えている。
坂口恭平とは、握手した仲だけど、植本さんには一方的で(昼間に投稿した、又吉氏の時と同じく、一方的。。。。危険?)しまいには、なくなられた旦那さんの事まで、だんだん気になってきて、先週一人でこっそり行ったカラオケで、ECDの曲を探して、まったくわからないのに、メロディをでたらめに歌ったのだ。へんなフリまでつけて、一人で立ち上がり。蜂起したのだ! もっと、誰かとつながりたい。と最近思うのだ。もっと、自分をさらけ出したい。自分の自由を獲得するための、一歩。
躊躇していたのは、自分の生活や環境に誇りをもてていなかったからだ。
どんな自分でも、わたしはわたしで、恥ずべき事じゃない。
本来、ためらい隠すことは不純で、自分は自分としっかり意思表示して生きていくことが、美徳とされているだろうけど、その綻びこそがわたしなのだ。
歯医者が終わって、店にでも寄ろうということにして、お腹も空いていたし、くら寿司へ。二人で、十数皿食べた。おいしそうに食べる、家族の姿に、なんて冷たい態度を普段しているのだろうと思い、悲しくなった。
百均で、家族は絵の道具を選び、わたしは綿棒とスケッチブックを購入。今日から、絵も描きたいなと思っていたのだ。
店をでると、夕暮れは姿をくらませていた。真っ暗で、秋の夜だった。通勤帰り、通学帰りの人混みといっしょに、わたしたちも地下鉄にのる。
ときどき、わたしをのぞき込む家族の黒目を、揺れる地下鉄の中で、じいっとみる。悲しくなんかないのだった。
今確かに、いる存在が、すべてだから、これからも、ずっと、親子で居られるのだ。
遅くなり、急いでご飯の支度。待っていた家族と、今日一日の話を三人でする。
自然に、話す。
くら寿司の事は、内緒に、きのうのカレーと、鶏肉にキャベツとか紫蘇とかチーズとか乗せて蒸し焼きにしたもの、千切り人参の塩もみを作成。野菜をフライパンにいれる合間に 、リョサ。若い小説家に宛てた手紙。小説があってよかった。もっと、言葉を探したい。
比較的、平和な一日で、詐欺の話もあったけれど、心は凪いでいる。こんな日が続くといいな。 皆が穏やかでいられますように。
明日は、また蕎麦をとってくれると、同僚から連絡があった。
絵は結局描いていない、そして一日が終わる。
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