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ショウビズにもってこいの一日

あへんが手に入ったと、金児美登里から連絡が入る。

あへんをすったことは、勿論ない。吸ったことがあるのは、煙草くらいで、煙草は、合法で手軽である。アポなしで、美登里の部屋を訪ねる。二階建ての階段がきしむアパート。どうみても、城ではないのに、シャトー南町コーポと名付けられた、美登里の部屋を訪ねるとき、わたしは、いつも、『都落ち』という言葉を思うが、とても失礼だろう。
 昔、兄の部屋に忍び込んで、小銭をくすねていたころ、――高校生のころだった。兄は日雇いの人夫で、日中は不在だったから、部屋はあさり放題だった。
その時、ふと、魔がさしたとしかいいようがないのだけれど……、逢魔が時?だったのかもしれない。ともかく、兄の灰皿に、一口、二口すっただけの、煙草のシケモクの、孤独な、忘れられたような、置いてけぼりにされたようなたたずまいに、言いようのない魅力を感じたのだ。チェック柄のトランクスや、母が洗濯をし、ていねいにたたまれた作業ズボン……ペンキなどの有機塗料がこびりついていた……、綿棒、みみかき、湿布薬、そういった金目以外のものを掻き分けて、座り込む。制服のスカートにしわが寄った。午前の光が部屋を暖めていた。わたしは、どうして学校に行っていなかったのだろうか。入学したばかりで、友人と呼べる子がまだ見つからなかったのだろう。でも、なぜわたしには、友達がいないのだろう?
 友人とは、いったいどうやって作るのだろう。
そんなことを考えていたら、ほほに出来た、赤黒いニキビが、脈打つ感じがした。痛みや葛藤。肌荒れはそんなときによく起きるものだ。
 たばこ。たばこ。煙草。大人の煙。浦島太郎にだって、なれるかもしれない。
 ともかく、それだけが、今の不安定なわたしを救ってくれるような気がした――。百害あって一利なしなのは、人間様のほうだ。と息巻いて、おそるおそる火をつけて、煙を吸い込んだ。
 まずかった。
 咳払いを抑え込むように、体をくの字におった。
 次から次へと、求咳状態であり、がらんと誰もいない家の中は静かだった。母は、早朝の地下鉄駅の清掃のパートのあと、カーブスで二から三時間運動をする日課なので、思う存分咳払いや痰がらみを解消してもよいはずだったが。こんな低俗な嗜好品に手をだした自分の弱さが、行動を矮小化したのだろう。なによりも自分を呪った。
 こんなものに金をだす人類が信じられないという気持ちをずっとひきずったまま、かつての恋人にどんなに強要されても、煙草だけには手を出さなかったのだ。
 兄の煙草のパッケージの特徴を恋人に教えると、恋人は「それ、ゴールデンバットじゃね。いろんな煙草の寄せ集め。ごみ煙草って呼ばれてるやつ」と、まるで兄を社会に適合しないゴミ扱いしたのですぐに別れを切り出したのだ。そういえば、母の養父もこれを吸っていた。炭鉱の事故で、半身不随になったあとも、吸っていたっけ。
 それにしても、美登里、いったいどうして。

「ねえ、違法薬物であるのは知ってるよね。日本ではきつい取り締まりや、実刑判決を受けることは、世間知らずのボンボン嬢ちゃんと言われるわたしでも、いくら何でも知ってるわ」きわめてユーモラスに言った。美登里は親友と呼べる友人だったからだ。大切な人を傷つけるという体験はいまだない。むしろわたしは、だれかれにでも、傷つけられる方が多いのだ。
 愛されるより愛したい、とか、傷つけるより、傷つけられたい、だとか、食うより食われたい、とか、真実はひとつではない。多様性以前の問題だった。
 美登里は、おさげをほどき、バスローブに着替えはじめた。赤いベールが靡いているみたい。美登里、美登里、と背中を呼ぶ。髪の毛また、染めたの? わたしも、ヘナデビューしようかと思っているの。こめかみに白髪が目立ってきたの。美容院では、自分で染めるのが安上がりですけどねって言われたけど、どう思う? 

 これから、人と会うの。

 美登里は怪訝な顔でいった。
 
 それならば、と本題に入る。深呼吸して、気持ちを整えた。
 手土産のファミチキのにおいが、ビニール袋から立ち上る。今すぐにつまんでしまいたいほど、空腹だった。

「あへん、どうやって手に入れたの?」

 美登里とは、三十五歳を過ぎてから、パン工場のアルバイトでしりあった。若白髪をヘナで赤毛に染め上げた、三つ編みの女。アルバイトの仲間内では、クレイージーアンと呼ばれていたけど、わたしだけは唯一、『かねこさん』と呼んでいたのがよしみで、仲良くなったといういわくつきであった。
「危ないインターネットとか、FBI・CIA・DHC・WBC・YMCAあたりが使用するという、ディープウェブっていうやつだったり……」

「……ちがうよ。聞かないで」

 美登里は、バスローブをはだけさせる。まっさらな裸体が、わたしの眼前に広がり、まるで、モネ、ルノワール、レンブラントあたり光の中に、わたしはいるようだった。
「シャワー浴びてくる」
美登里はそう言って、バスローブを拾い上げた。




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