フランス菓子メーテルリンク
時たまとても行きたくなるフランス菓子の専門店が、横浜駅近くにある。
「フランス菓子メーテルリンク」というがその店の名前だ。十年ほど前のある土曜の夕方、三ツ沢公園方面から横浜駅へ向かって歩いていた時に、少し遠くの前方ビル上方に「タルト」というただそれだけの、やたらと大きな文字で書かれた看板を見つけた。周りの看板とは書体も雰囲気も全く違う、シンプルだけに気になる看板。もう少し進むと「タルト 1F」と、「タルト」よりも小さな文字で「1F」と書かれていることが分かった。
この辺にタルト屋なんてあったかしら?と思いつつ当該ビルまで行ってみると、辺りの暗くなり始めた外からでも、ドア近くのガラスケース内に艶々とした美しい色合いのタルトレットがいくつか並んでいるのが見えた。それが「メーテルリンク」との出会いである。なおこの看板は一年ほど前に撤去され、今ではもう見ることはできない。なかなか特徴的な眺めだっただけに残念だ。
その時買ったのは確かタルト・アプリコとブルーベリーだったと思う。閉店間際でもうそれくらいしか残っていなかったのかも知れないが、その後も繰り返し購入することになるお気に入りの2種である。うっとりするほど艶々として美しいルビー色の淑女みたいなフランボワ、ちょっとやんちゃな若々しい味わいのアナナ(パイナップル)も捨てがたいけれど、やはり私が一番好きなのはタルト生地との相性が最も良い(と私は思っている)、甘酸っぱいアプリコとブルーベリー。それがいたく気に入って、それから近くを通る機会がある度に立ち寄ってはその時気が向いたタルトや、同じように小型の可愛らしいプティ・ガトーをいくつか選んで購入し、うきうきしながら持ち帰るようになった。
「メーテルリンク」に並ぶ菓子はおそらく日本向けアレンジの一切ない、当地のクラシックな作り方そのままのものばかりだと思う。良い材料でしっかり手をかけて作られ、甘さもバターの重厚感もきちんとあるので、小さくても1個食べると舌が満足して満ち足りた気持ちになる。
また、同店の好きなところは、買いに行くと個数に適した大きさの白い箱を組み立てタルトやケーキを丁寧に詰め、掛け紙とリボンをかけて渡してくれるところ。私たちが気に入って通う何軒かの横浜の老舗洋菓子店は今でもこういう渡し方をしてくれる。掛け紙の色やデザインに店ごとの特色が出るのがいつも楽しみだ。メーテルリンクは長いこと白地に暖かな色調の絵画がデザインされた掛け紙だったが、今回行ったらその紙が変わっていた。どうやら1年ほど前に変わったらしく、つまりそれだけご無沙汰してしまっていたようだ。
無沙汰のきっかけは、ある時たまたま買えたプティ・シューがものすごく美味しく、また食べたくて何度か集中的に通ったのになかなか買えずにしょんぼりしてしまったから…だったかも知れない。プティ・シューはどうやら毎日つくる訳ではないらしく、つくった日には飛ぶように売れたり、イートインの方々が選ばれたりして早めに売り切れてしまうようだ。
いったいいつまでと気が遠くなるほど厳しい暑さの長く続いた今年もようやく冷たい風が吹き、どっしりとした洋菓子が食べたいなと久々に思った。そういえば「メーテルリンク」へは随分長く行っていない。今年は年初から胃腸の調子が今ひとつだったため、重たい洋菓子を少々控えていたせいもある。そろそろ行かなくては。
という訳で、約1年ぶりに訪れたメーテルリンク。いつもケーキ店では私たちは好きなものを2種ずつ選ぶ。私は今回アプリコがなかったため「あんず」と、これも好きでよく選ぶガトーモカ。夫はタルト・ショコラにプラリネ・ショコラと、2つともショコラ菓子を選んだ。これも秋冬ならでは。
大粒の杏を1個まるごと使った「あんず」はアプリコよりも更に甘酸っぱく、タルト生地との対照がより際立って美味しかった。
久しぶりに食べたガトー・モカは、バタークリームの美味しさに改めて刮目した。こんなに美味しかったかとびっくりしたのだ。バタークリームのケーキは好きで各地でいろいろ食べているけれど、私が行きやすい店舗の中ではメーテルリンクが突出して一番かも知れない。使われているバターの上質さ、舌で溶ける滑らかさと軽さが際立っているのだ。全くしつこくない。この大きさだからこそ許される贅沢な味わい、これぞメーテルリンク。
故に毎日ではないにせよ、時々行って買いたくなる。メーテルリンクのお菓子が食べたいな、と思ったら、他店では替えが効かない。