自己紹介
京都生まれの京都育ちです。30代から、何故か、介護職に就きました。
すると、父が脳出血で倒れたのです。姉は、一晩中泣き明かし、自宅に残されたぼくと母は、夕食の中華料理店で、一緒に悲しみに暮れました。父が倒れてるところを発見したのは、母でした。
昼間からお風呂につかってた、父でしたが、いつもなら放っておく母が、返事がない、父をお風呂場へ気まぐれでのぞきにいき、「あんた、大丈夫か?」とたずねにいきました。すると、父が風呂で、溺れそうになっているのを見つけ、急いで救急車を呼んだ、と言います。
なんの根拠もない、ただ、虫の声が聴こえて、風呂場をのぞきにいった。わたしが発見しなかったら、父は、そのまま風呂で溺れ死んでいただろう、と母は語っていました。
それから、母は、大好きなパチンコを一切辞め、父の介護に励みました。母も、打ち込めるものができ、ぼくたち家族は、母がまっとうな人生を歩み出した、と喜んでいました。というのも、束の間、三年経つと、父の介護疲れで母は倒れ、鬱と認知症を併発しました。
ぼくは、介護職を辞め、母の介護にはげみました。難病のかたを対象としていた、デイケアでの介護職がゆえ、母の介護は、容易かと思われました。ところが、他人を介護するのと、身内を介護するのは、全く違いました。
母がおととしの八月一日に、亡くなり、ぼくは、ショックで、文が書けなくなりました。
「母に、手紙を書こう!」と、思い着いたのです。そうすることで、トラウマから、脱出するのだ!!と。
でも、机に向かって、紙を目の前にしても、「つらい...…」の一言しか書けません。どうしたものか、文章教室というカルチャースクールに通うことにしました。
そこで、大人の国語の授業を受けたんです。教室では、俳句の書き方、川柳の書き方、ショートストーリーの書き方、映画、小説、エッセイなど、いろんなことを教えてもらいました。
すると、五回目くらいの授業で、母の手紙を完成させることができました。
母だけでなく、友だち、前職の会社の先輩、憧れのスター!いろいろなひとに手紙を書きました!
ぼくの、トラウマは、解消されました!
こうして、ぼくは、また、書き続けようと決意しました。いまでは、20分もあれば、800字くらいの文が余裕で、書けるようになってます!
noteには、最近、つぶやきばかり書いています。仕事が決まり、疲れてばかりいるんですが、なんとか、働きながら書き続けようと思います。
みなさん、どうか、よろしくお願いいたします!