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第四十話 異質な季節

もくじ 3,716 文字

 コンクリートと顔の距離が近くなったせいで、歩いていたときより暑さを感じる。この時期ともなると、川面が射かけてくる光も目に痛いほど。部屋の 「あじわい暦」 によれば、今日は 「立夏」。暦の上ではもう夏なのだ。
 小林たちとドライブに行った日から、半月以上。
 あれから考え込むことが多くなった。こうして度々河川敷を訪れては、物思いにふけっている。
 毎日の暮らしぶりは変わらない。夜遅くバイトに行き、早朝アパートに帰ってきて、昼過ぎに起きて掃除や洗濯をしたりしなかったり。人間関係も相変わらず。休業日の小林の店に集まったり、ふらっと岩見沢がアパートを訪ねてきたり……。
 ありふれた毎日。
 だが、そこにはいくつものほころびが見い出された。
 今までにない感覚が日常に忍び込んでいる。
 見慣れた景色や、身の周りの出来事に対するわずかな印象の変化。微妙な違和感。
 それを感じる瞬間は、いつも唐突にやってくる。
 コンビニのバイトでレジに立っているとき、部屋の掃除をしているとき、街を歩いているとき、ふらっと入った喫茶店でコーヒーを飲んでいるとき……。
 ふと意識した店内の雰囲気に、掃除機を操作する自分の動作に、街路樹のざわめきに、コーヒーの香りや、客と店員の何気ないやりとりに……いつもと違う何かを感じてしまう。
 それに気づくたび、手を止め、足を止め、考える。今のは何だったのか、と。
 確かに、それらはごくささやかな経験だ。吹いているのかいないのかもわからない風が、そっと細葉の先端を揺らすような。だが、日常の随所に散りばめられ、少し動くたびに遭遇してしまう。どこに潜んでいるのかわからず、意識的に避けて通ることはできない。
 注意深く過去を振り返れば、岩見沢の家の前で立ち話をした日以前にも、そうした瞬間はあったかもしれない。蓬莱公園で花見をした日からしばらくの間、一見平穏に見えた日々。今からすれば、何となく思い当たる節がある。ただ、やはり、あまりにも小さな経験のため、はっきり意識できなかったか、意識しても、生活の場面が切り替わるたびに忘れてしまったのだろう。
 いつの間にか、川面に落ちていた視線を持ち上げた。
 対岸のコンクリート斜面はこちら側より短く、正面の土手を青々とした雑草が覆う。ガードパイプの上に、頭を出した街路樹の名前は、何といったか。モミジバフウ? トウカエデ? 紅葉が美しい木だったはずだが、はっきり覚えていない。今は、明るい初夏の陽射しが、若葉を洗う。
 コンクリート斜面から身を乗り出して、まじまじと目の前の景色に目を凝らした。

 世界は、以前と同一であって同一ではない……?

 街路樹の合間に立ち並ぶ住宅や倉庫。マンションや低層のオフィスビル。
 サイクリングロードを走っている人、散歩中の人、ガードパイプに手をついて、釣りの様子を窺っている人……。
 今目にしている景色は、一年前の自分の目にも、そっくり今と同じように映っていただろうか……。

 空の青さは?

 雲の白さは?

 例えば、今年も春が来た。街の花壇を様々な花が彩り、ひと雨降るごとに、草木が青さを取り戻していった。この頃は気温もぐっと上がって、半袖で過ごせる日もある。屋外にいる人の数も、冬場に比べてずっと増えた。河川敷では、ツバメなどの夏鳥もよく見かける。
 毎年繰り返される光景。
 けれど、何かが違う。
 春は毎年巡ってくる。当然ながら、いつも同じ春だった。太古の昔から脈々と続いてきた自然の営み。今後もずっと変わることはない。毎朝、太陽が東の空に昇るのと同じくらい、自明なことのはずだ。
 だが、今年はいつもの春が巡ってこない。
 「立夏」 の今日まで待ってみても。
 出会ったのは、今までにない異質な季節。
 毎年一致するはずの記憶と現実が一致しない。
 永遠の循環が途切れてしまったかのようだ。
 自分が覚えている春は、こんな春ではない。自分が知っている世界は、今目にしている世界とは違う。
 いったい何が違うのか?
 それは例えば、空を鮮やかにしているもの、雲の白さを作っているもの、風や光に喜ばしさを与えているもの、草木の瑞々しさの源になっているもの――そうしたものが今の世界には足りない。どこかへ消えてしまった。すーっと潮が退くように。
 世界は、急速に色せてしまったように思える。
 どこか虚ろで覇気がなく、寂しげに見える。
 ぽっかり風穴が開いてしまったような。情熱が逃げていってしまったような。夢から覚めてしまったような……。
 視界の端に、ひらひらと二つの影が映り込んだ。川上側から、モンキチョウのつがいが風に流されてきた。黄色いほうがオスで、白いほうがメスだったか。付かず離れず、ペアでダンスを踊るように飛んでいる。でたらめな軌道は、ヘリや飛行機など人間が作ったものには真似できない。ぼんやり見つめている間に、蝶たちはゆっくり川下のほうに押し流されていった。
 二頭が消えた視界に、玉ボケ写真のような川面のきらめきが残る。
 だが、真一が見つめているのは、自分の頭の中。
 いつからか毎日が淡白になった。一日一日が淡々と流れ去っていっている。何を感じたのか、どんな出来事があったのか、心に残っているものが少ない。日常は多くの意味を失い、つまらないものになってしまった気がする。
 先週、こんなことがあった。
 岡崎がオーディオラックを購入したというので、マサカズと一緒に、部屋に運び入れるのを手伝いに行った。人を頼むと金がかかるから、と真一たちが呼び出されたのだ。
 岡崎の部屋は二階にあり、長さのあるオーディオラックを一人で運ぶのは、確かに不可能だったが、真一たちが手を貸してやったら、あっさり作業が終了した。
 ホームセンターで借りたトラックを真一が返しに行き、マサカズが岡崎と一緒に車で迎えにきた。車に乗ると、せっかくだからボウリングでもやらないか、と二人に誘われた。ゲーム代は岡崎が支払うと言った。アパートに帰ってもやることがなかったから、真一は二つ返事でOKし、国道沿いのアミューズメント施設へ行った。
 二回ほどゲームをやって、二回とも真一がトップを取った。
 ストライクを連発したときは、自ずとガッツポーズが出る。悔しがる岡崎とマサカズに挑発的なポーズを取って、からかってやったりもした。だが、そうした振る舞いとは裏腹に、内心、どこかゲームにのめり込めていなかった。体だけ動いて、気持ちが置き去りになっていたというか、空回りしている感じがずっと付きまとっていた。印象に残っているのは、マサカズが足を滑らせて、ガーターを出したときのこと。派手にずっこけたマサカズを見て、大笑いする岡崎の姿が、ひどく空虚に映った。
 ――いったいこいつは、何がそんなに面白いんだ?
 素朴に思った。表情もぽかんとしていたはず。
 だが、あとで考えてみると、おかしいのは自分のほうだった。
 普段なら、絶対にこんな感じ方はしない。岡崎と一緒に大ウケしていたはずだ。
 自分で自分が理解できなかった。
 どうして、あんなに冷めた気持ちになってしまったのか。
 あたかも、自分の中に、他人の感情を発見してしまったかのようだった。
 それくらい、普段の自分の反応からかけ離れていた。
 背後で自転車のベルが鳴った。少し遅れて、「危ないから脇に寄りなさい」、としわがれた声が誰かを注意する。自転車の気配が遠ざかると、今度は、プイー、といささか間の抜けた音がし、貸して、貸して、と幼い声がせがみ出す。老人が孫のために草笛を作ってやったのだろう。アシの葉っぱでも、タンポポの茎でも、カラスノエンドウの鞘でも、材料になる草なら、河川敷にいくらでも生えている。
 コンクリートの輻射熱に、あらためて暑さを感じて、パーカを脱いだ。丸めて腰の後ろに回すと、光りさざめく川面に目を落とす。
 最近、あまり感動しなくなった。心の感度が明らかに落ちてしまったように思う。安物の録音機みたいに繊細な音は拾えず、感受できる音域も狭くなった。
 以前は、ひとつひとつの体験がもっと深かった。見たこと、聞いたこと、身の周りで起こったあらゆる出来事は、速やかに自分の中に浸透してきて、いつまでも記憶に残る鮮やかな像を結んだ。心に広がる印象の響きは、純水のように澄み切っていた。
 今は物事全般に対して関心が薄い。目の前で何か面白そうなことが起こっても、傍観するとか、素通りするとか、消極的な態度しか、自分の中から出て来ない気がする。
 ピチュル、ピチュピチュ……緑の季節によく似合う声。
 川岸のあたりに目をやると、草むらの合間から小さな影が浮かび上がってきた。ヒバリがさえずりながら、ホバリングしている。翼の動きは、速すぎてよく見えない。ほどなく真一の目の高さを越え、対岸の街路樹の高さも越えた。
 子供の頃に味わったのある圧倒的な体験。
 叫び出したくなるほどの感動。
 ああいう感じ方は、もうできなくなってしまったのか。
 あの頃の心を失くしてしまった……?
 天高く舞い上がっていくヒバリとは裏腹に、かげった思いが胸に沈んでいく。

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鈴木正人
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