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「介護が出来るありがたさ」

若い頃には考えもしなかった事ですが、両親が亡くなり兄姉も早死にしてしまった今思う事は、介護が出来るって幸せだなという事です。

50代になるまでは、自分の実家で一緒に育った家族がこんなに早く天国に行ってしまうとは想像すらしていませんでした。

まず自分が30代の後半に母が末期の大腸ガンだと分かりました。

この時は私が最も忙しくしていた時期とも重なりましたし、自営業者でしたのでサラリーマンの様に有給休暇や介護休暇などもありません。

自営業者にとって仕事を断って休みを取るというのは、もうその仕事を諦める事を意味するので、何とか仕事もやりつつ親の事も気にしつつといった生活を選ぶしかありませんでした。

余命一年以内と言われた母でしたが、結局三年以上生きてくれましたし、最後の数ヶ月は入院先の病院に、毎週末に見舞いに行き一緒にお昼を食べる事も出来ました。

大阪の私の自宅から母の病院までは車で片道3時間以上の道のりでしたので、いつも朝の7時過ぎには自宅を出発し、途中のコンビニで病室で食べる弁当を買います。

病院までの道のりの途中に私の実家もありましたので、実家にも立ち寄り父の顔を見てから病院に向かいます。

そしてただ黙って母の寝ているベッドの横で座っているだけの時間を過ごすのですが、母の体調が良い時などは色々話しも出来ました。

一番残念だったのは、ガンの痛みを抑える薬の影響で、最後の方は中々コミュニケーションが取れなくなってしまった事でした。

その母が亡くなったのが丁度私が40歳の時だったのですが、それからピッタリ10年後の同じ月に父が亡くなりました。

父もガンだったのですが、母とは違い積極的な治療を行わない事を選びましたので、私が同居して介護しました。

介護中はストレスの発散の仕方も分からず気持ちが落ち込む事も多かったですが、介護生活が終わって10年ほど経過した今では親の介護をする事が出来て、本当に良かったなと思っています。

父が亡くなったわずか三年後に今度は私より四歳年上の兄が急死する事となり、そのまた数年後に七歳年上の姉も亡くなったので、私にとって家族と呼べる人は自分の息子しか存在しなくなったのですが、その息子とも一緒には住んでいませんのでこのままいくと独居老人まっしぐらの境遇となってしまいました。

独りで過ごす時間が多くなると昔の介護生活時代を思い出すことも多いのですが、どの瞬間も父や母との穏やかな時間の流れが思い出され心が温かくなります。

両親が元気な頃には全く親孝行の出来なかった自分に、最後の最後に少しだけ親孝行をさせてくれたのが介護でした。

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中嶋洋二郎
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