閑話休題「在宅介護の思い出あれこれ-その3」
在宅介護生活の思い出話3回目です。
私が父を介護し始めた頃はまだ父も要支援レベルの状態でしたので、差しあたり私が見守りさえしていれば何でも好きな事をさせていました。
ただ、車の運転が出来なくなってからは、ちょっとした用事をするのにも私が運転して連れて行かなければなりません。
私の実家は超がつく田舎でしたので、自宅から歩いて行ける範囲には田んぼや畑、山と川しかありません。
ですから散髪するにしても歯医者に行くにしても、全て車が必要になります。
普段父がどこの散髪屋さんを利用してどこの歯医者に行っているのかなど全く知らなかったですし、色々な場所に連れて行く度に知らなかった田舎での父の暮らしが見えてくるようでちょっと感慨深いものがありました。
そんな生活を続けながらも、徐々に父の体力は衰えて行き散髪も歯医者もこちらから行く事は徐々に難しくなってきました。
その事は父本人もしっかりと自覚していて、「元気なうちに会っておきたい人が居るから連れて行ってくれ」と私に言う様になりました。
と言っても、もう既に父の若い頃からの友人は亡くなっている方がほとんどでしたので、結局あれこれ考えたあげくに実際に会いに行ったのは1人だけでした。
その1人も、父の友達であるご本人は亡くなっていて、未亡人である奥さんに会って線香を上げる目的での訪問になりました。
実はこの未亡人の方は、私も子供の頃からよく知っている人で、一緒にご飯を食べたこともありますし、まさに家族ぐるみのお付き合いをしていた間柄でしたので、私も楽しみにしながら連れて行きました。
この時の事は、私の介護生活の中でも特によく覚えている事なのですが、父が若かった頃は頻繁に出入りしていたであろう友人の家に上げていただき、奥さんと昔話に花を咲かせる姿は、久しぶりに見る父の生き生きとした姿でしたし、ご無沙汰していた友人の奥さんとの思い出話はいつまでも尽きないようでした。
そして結局、父が通院以外で自宅を出たのはこれが最後になりました。
この日を境に、「もう思い残すこともない」などと口走るようになり、どんどん出来る事が少なくなっていき、それから半年も経たずに父は亡くなりました。
ところで、現在私は大阪の片隅で独り暮らしをしています。まだ要介護には早い年齢ですが、いずれ長生きすればその時が来るでしょう。
そうなる前に、やはり会いたい人には会っておくべきだなと、考えさせられた出来事でした。
*アゼリアカルチャーカレッジ
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