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閑話休題「天の配剤とこの世の価値観-前編」

人間は生きている間に誰でも「天の配剤」としか思えないような出来事を公的にも個人的にも何度か経験するものです。

今日はいつもの話題から離れて私に起こった天の配剤と言える出来事を二つほどご紹介します。

現在の私は介護食の専門家として活動していますが、その前は印刷物のデザイナーとして数人のスタッフに手伝ってもらいながら個人事務所を経営していました。

元々洋食のコックさんをしていた私が全く畑違いの仕事をする様になったきっかけが、今から思えば天の配剤としか思えないような偶然からでした。

私は元々独立志向の強い人間で、洋食のコックをしている時から必ず独立して店を持とうと考えていました。

キャリアの積み方もその事を考えたキャリアの積み方をしていまして、料理と経営の両方を学べる様に自分なりに考えて働いていました。

それで自分的には次の段階に進む時期が来たと考えて、当時務めていたお店を辞めたのはいいのですが、なかなかの激務を終えたあとだっただけにしばらく休もうと思い次の仕事も決めずに自宅で休んでいました。

丁度そんな時に、義父から自宅に電話が掛かってきたんです。ちなみに義父が私の自宅に電話をしてくる事はとても珍しい事でした。

当時は携帯電話などありませんから固定電話に掛かってきたわけですが、本来なら仕事に行っているはずの私が電話に出たので義父が驚いてしまいました。

それですぐに義父は「おまえなんで家におんねん」と私に言いましたので仕事を辞めた事を伝えたのですが、帰ってきた返事が「だったら明日からちょっとだけこっちを手伝ってくれへんか」でした。

義父は小さな印刷会社を経営していましたので、その手伝いをしろと言うわけです。

電話を受けたのが10月の事で、当初年内だけの手伝いでいいからという約束で義父の印刷会社を手伝うことになりました。

ところが年内だけのはずが春までになり、結局3年程も手伝うことになりました。

その3年の間に義父の会社は傾いてしまい、最後は私も色々関与しながら会社を清算する事になってしまいました。

清算して手元に残ったのが、当時はまだ高価だったアップルのコンピュータMacintoshでした。

元々私は飲食業で独立するつもりでしたが、状況がそうはさせてくれず、手元に残った高価なパソコンを使ってデザイナーとして独立することを選び、思いがけずそのまま20年以上も仕事を続けることになったわけです。

そしてここからが二度目の、まさに笑ってしまうほど色々な偶然が折り重なった天の配剤に繋がるのですが、長くなりましたので続きは明日アップします。お楽しみに。

◎介護食(ユニバーサルレシピ)専門サイト
食べごろclub
https://tabegoro.club/


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中嶋洋二郎
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