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閑話休題「栄養士の理屈、調理師の屁理屈」
調理師にも働く現場によって色々なパターンがあるのですが、多くはホテルや街場の飲食店でキャリアをスタートさせます。
こうした場所で提供される料理の多くは「非日常」を演出したものになりますので、そこで働く調理師は必死になって非日常感を出すための技術を習得することになります。
つまり同じ野菜を料理しても、他の人より「高い値段の取れる料理」を目指して修業をするわけです。
私が最初にお世話になったお店はフレンチ系の洋食屋さんだったのですが、定番メニューの他に、料理長にお任せで自由に調理してお出しするパターンもありまして、そんな時には気合いを入れて盛り付けにも工夫しながら作りました。
理由は、出来上がった一皿を見て料理長がその場で値段を決めるからです。
つまり「非日常感」がしっかりと表現された一皿に対しては料理長が高い売値を付けてくれるのですが、そこがダメだと場合によっては作り直しを言われてしまいます。
楽しくもあり緊張もする瞬間でしたが、お客さんの方も余裕のある方しかそうしたメニューは頼みませんので一緒になって楽しんでいただけたのだと思います。
ちょっと話しが逸れてしまいましたが、何が言いたいのかといいますと、調理師というのは基本的に非日常の料理技術を身につけた人達のことを言います。
一方栄養士さんが働く病院や学校や介護施設などで提供する料理は全て「日常食」です。
毎日食べても飽きの来ない気取らない料理がメインとなります。
現在私はそうした日常食を提供する介護施設でも定期的に調理をしていますが、どうしても昔の「非日常感」が頭をよぎってしまう事があります。
例えば焼き魚を盛り付ける時に、そのまま焼いた魚をお皿に置いただけだと何だか仕事をした気がしません。
魚の下に飾り切りした笹の葉を一枚敷いたり薑(はじかみ)を添えたりしたくなります。
これは調理師の性みたいなものなのだと思いますが、栄養士さんにしてみたら笹は食べられないですし、薑(はじかみ)は高いだけでほとんどの方が残してしまうので付けるだけ無駄です。
つまりどちらも栄養になりませんから、栄養士的には付ける必要のないものです。
確かに理屈ではその通りで間違っていないのですが、ずっと感性で勝負してきた調理師としては何とも釈然としないのがこうした献立の場合です。
そんな時に私はよく栄養士さんに対して「目で食べるという事もあるんやし、無駄に思えて無駄でないんとちゃう?」などと屁理屈を言っては軽くあしらわれています。
ただ、そんな日常食が主役の現場でも、クリスマスやお正月などイベント食を提供する時には、そこで働くベテランの調理師さん達も昔身につけた技術が活かされるわけですから、栄養士と調理師がお互いに補い合う関係性が大切なのは言うまでもありません。
*JEUGIAカルチャーセンター堺タカシマヤ教室
「介護の為の簡単な料理術」はこちら
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*アゼリアカルチャーカレッジ
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