Youtubeのコメ欄から高評価機能は撤廃した方がいい
X、Youtube、Instagram、TikTok
これらSNSの四大巨頭は、「いいね/高評価」という機能ありきのものでしょう。
以前記事にした話題ですが、やはり「いいね/高評価」という価値観は碌でもないものだなとつくづく思うようになりました。
皆が皆、その価値観に汚染されてしまっているようで、気色が悪い。
僕はXはとっくに辞めて久しいし、インスタも前に同じ、TikTokは昔友達に無理やりインストールさせられましたがまともに使ったことは無い。
唯一、接点があるのがYoutubeのコメ欄です。
何となく知っていましたが、四大巨頭のうち最もマシな場所はYoutubeだそうです。
先日、「226」という映画が松竹の公式Youtubeチャンネルで無料公開されていて視聴したのです。劇伴はVガンダムなどの千住明氏、さらに当時の著名なキャストが集結した豪華な映画で、昭和の226事件を元に作られた作品でした。重い映画ではあるのですが、面白いかと言われると言葉に詰まるような作品、というのが率直な感想でした。
ところがコメ欄は賞賛の嵐で、一番評価されているのもその類のコメントな訳です。映画評価サイトでは映画comで3.0/5.0、Filmarksで3.2/5.0の作品ですよ?
前々から感じていたことですが、コメントする目的が「評価されること」という輩どもが、なりふり構わず「良さげなこと/面白げなこと」を言って評価されてるだけのつまらん世界なんですよ。見終えてしばらくコメ欄を見ていたら、映画が面白かったかのような錯覚に陥りかけましたからね。
ああした承認欲求やそれに基づくコメントというのは、本質をくらませることの方が多い。耳障りの良い言葉やいい気分がする言葉にいいねしてしまう人の心理というものは、しばしば本質を捉えきれていないのである、とよく分かった事例でした。現に自分も錯覚しかけたし、無意識のうちに勘違いしてしまう人も多々いるはず。
そも承認欲求というのは、承認欲求を満たすために誕生したわけではない。「評価」を目的だと履き違えたバカに備わって「しまった」ものです。ある種の悲劇的な産物なんですよ、僕に言わせれば。
「評価されやすい型」はいつでもどこでも見かけるし、評価順にすればそれ一色に染まってしまう。しかもそれが「視聴者の総意だ」という勘違いも生まれかねない。何より危険なのは数値化されることです。数の暴力とはこの事で、評価数が多いものほど的を得ている、或いは正しいと判断材料にする人の何と多いことか。
かつてのYoutubeは高評価と同時に低評価も可視化されていました。しかし、見えなくなったことで「低評価をしよう」という発想もなくなり、昔ほど低評価する人もいなくなったものと思われます。
さて、今度は高評価の番です。高評価を見えなくするだけで、恐ろしいぐらいコメ欄特有のバイアスというバイアスが抜け落ち、ありのままの感覚・感性の姿が浮かび上がってくるのではと思います。そして皆が皆、今までの承認欲求を増強させる仕組みから解放され、かつての己の異常性に息を飲むのです。
SNSにおけるありのままの人間性、ヒューマニズムの顕現を見た時、初めて人類はSNSと共存できるようになるでしょう。なんせ今はSNSに「喰われる」人類なのですからね。