フュー

Z世代。noteがSNSにおける最後の砦では無かろうかと思う今日この頃。遅筆&超不定期更新です。 特撮・アニメ哲学、社会学(風の何か)、オカルトなど、ジャンル問わずつらつらと書いてみます。 アウトプットよりはインプットをしたいと思ってます。

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Z世代。noteがSNSにおける最後の砦では無かろうかと思う今日この頃。遅筆&超不定期更新です。 特撮・アニメ哲学、社会学(風の何か)、オカルトなど、ジャンル問わずつらつらと書いてみます。 アウトプットよりはインプットをしたいと思ってます。

最近の記事

「涙が出る」「泣いた」 って本来慣用句じゃないはず。 「感動した」を誇大に言いたいという意図で使用されるのでしょうが、多くの人がそのことに無自覚で使ってるような節があるのでいつも個人的にモニョモニョしています。

    • 鬼滅の刃の「ネーミング」仮説

      『鬼滅の刃』は老若男女問わず大流行したメディアミックスであることは誰の目にも明らかです。情報化して人々の趣向が細分化した(と言われている)現代においてここまでヒットしたというのは、それだけ鬼滅に人々を惹きつける力があったということなんでしょう。 ただ、ひとつ言わせてもらいたい。 個人的に全っ然『鬼滅の良さ』が分からない。 僕がまず初めて鬼滅に触れたのがアニメ第1期だったのですが、正直言って歯を食いしばって見てしました。期待のしすぎだったのかと言えばそうではなく、むしろ悪

      • 「月光仮面」が想像以上に面白い

        僕は今年に入り、人生で初めて「東映特撮ファンクラブ(TTFC)」なるものに入会しました。仮面ライダーだとか戦隊の最新作はアマプラなどでも見れますが、古い作品となるとそうそう見ることはできません。公式Youtubeなども自分で作品を選べない辛さがありました。しかしTTFCとなれば、一気に見れる作品が増えますしマイナーなものも自分から選べます。 そんな中、僕は仮面ライダーシリーズや戦隊シリーズを見るつもりで入会したのですが、ふと、ずっと古い部類の作品ってどんなだったんだろうと気

        • 承認欲求に支配された世論

          かつてはアンダーグラウンドのモノだったSNSは今やメインストリームとなり、「書き込み」はその本人の意見そのものであるとする見方も一般的になりました。かつ、日本は少なくとも「言論の自由」があり、言いたいことを臆せず言えます。 ところで、「書き込み」と「本人の意見」には決定的違いがあります。「書き込み」は不特定多数の他者から称賛されたり否認されたりする時、ハッキリと数値化されます。一方で「本人の意見」は他者からの評価が数値化されることは基本的にありません。 こう考えた時に、果た

        • 「涙が出る」「泣いた」 って本来慣用句じゃないはず。 「感動した」を誇大に言いたいという意図で使用されるのでしょうが、多くの人がそのことに無自覚で使ってるような節があるのでいつも個人的にモニョモニョしています。

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          日本に来るなら日本語話せ!論者の異常性

          最近は外国人に対してのヘイトが目に見えて高まっているのを感じます。同時に保守化する人々というのも増えていることなんでしょう。 特に中国人との間には軋轢が深まるばかりですし、更に個人的に感じているのは「日本国内の欧米に対する失望」です。仏五輪や、Xにて日本人ツイートが執拗に仏語圏のアフリカ人に攻撃されていることなど、海外を尊重する気持ちが失せるような事が度々重なっているのは事実。国民の気持ちが段々に変わってきていることは明白です。 ただし、外国人の中には日本語達者の方もいら

          日本に来るなら日本語話せ!論者の異常性

          偏向こそ認識 〜仏教の空の思想〜

          人の認識とは偏向です。 モノに名を付けて呼ぶのも広義の偏向ですし、特徴的なものがあればそのことが『名前』にもなります。 偏見、つまり非好意的な偏向は悪とされ、今の世の中では戒められます。ポリコレだ多様性だと最近はうるさいですが、そもそもなぜそんな事を今更及第しているのかといえば、人間は中庸な認識というのが得意ではないからです。というか、中庸な認識というものはこの世において存在するのかという問題もあります。 例えば「黒人」というこの言葉でさえも差別用語として禁止されようとし

          偏向こそ認識 〜仏教の空の思想〜

          随筆ii)自分を知らない自分

          僕は思ったよりも自分を知らない。 自分を過大評価することも過小評価することも、全てを理解したからしていることではない。 自分を決めつけることはできる。 自分を過信することもできる。 自分を端的に理解するから可能になることもある。 自分とは何なのだろう。 僕は、思ったよりも自分を知らなかった。

          随筆ii)自分を知らない自分

          「時間」の正体、それはカルマ(業)じゃないだろうか

          上記事の続きです。 もし読まれてなかったら是非読んでみてください。 さて、前記事の結論は「時間は存在しない」というものであった訳ですが、ピンと来ない人もいた事でしょう。本記事では前記事の補足と、そこから更に考察を進めてみようと思います。 そうは言っても花は枯れる我々が「時間が流れている」と感じるのは、過去と現在、現在と未来というような、認識における相対化がなされているからです。日は沈み、花は枯れます。それの動きを人は「時間」と認識しています。 しかし、前記事で僕が述べ

          「時間」の正体、それはカルマ(業)じゃないだろうか

          過去と未来は存在しない。あるのは色んな瞬間の「今」だけ。という自説

          『過去は変わらない。』 そんな訳はないです。 過去はいくらでも変わります。 過去が変わらないと思っているのは、「偶像としての過去」と「かつての現在」を混同しているからに他なりません。 「過去」とは厳密には認識です。我々の認識それ自体なんです。あたかも実在するかのように使われがちですが、「マネー」や「社会」と同じく、暗黙の了解に基づいて使われる言葉(であるべき)なのです。 「過去」はどこにもない例えば、「今のあなた」も「1時間前のあなた」も、生きている(いた)のは「現在

          過去と未来は存在しない。あるのは色んな瞬間の「今」だけ。という自説

          (随筆ⅰ)「普遍」と「普通」

          「普通であることがいい事だ」 「世間的にそれは違うよ」 そう言う人たちもいる。 僕は日本人として日本でしか生きたことがないし、日本から出たこともない。だから、当然分からないことも沢山ある。知ったような口を聞いておきながら、真の理解には到達していないのかもしれない。なにも知らないで生きているのかもしれない。 自分は、これらの問いかけを払拭して生きたいと思って生きてきた。だから、どこかに「世の普遍」を求める心が常にあった。いつ何時でも変わらぬ「答え」がそこにあるかもしれない

          (随筆ⅰ)「普遍」と「普通」

          日本のZ世代にとってのYoutubeとは何か

          Z世代といえば、まずよく言われるのがデジタルネイティブであることです。子供の頃からスマホ或いはPCに親しんでおり、ネットリテラシーが高いとかいう情報もあります。 僕自身もZ世代ですが、同年代の人々にとってYoutubeとは何なのかと言えば、まず「SNSの筆頭的存在」であることは言えるだろうと思います。それは敷居が低いが治安はそれなりに良く、手軽で身近なものだからというのもあります。 またもう一つ言えるのは「ストリームの規模感」ではないかと。時事ニュースというテレビが主戦場

          日本のZ世代にとってのYoutubeとは何か

          最近の仮面ライダーはどうも煮詰まっている気がする話【※閲覧注意】

          ※本記事は仮面ライダーの制作側・スポンサーに対する熾烈な批判を含んでいるので、読みたくない方・苦手な方ははページを戻ることをオススメします。 僕はあまり公言しない方だが、"特撮好き"の人間である。小さい頃からずっとハマっている訳でなく、小学生の低学年で卒業したくせに中学生になってからハマったという身で、それ以来基本的にニチアサはちゃんと見てきた。尤も、キングオージャー以前までは… ちなみに"ライダーオタク"とか"特撮オタク"を僕が名乗らないのには、ちゃんと理由がある。今流

          最近の仮面ライダーはどうも煮詰まっている気がする話【※閲覧注意】

          だから僕はXをやめた。SNSに分断されゆく人々を考える。

          ネットが普及したからといって、世界中の人間が繋がり合う訳ではないことはよく分かった。僕がX(当時はTwitter)を1年前に辞めたのは、そういう意味での絶望感もちょっとある。 互いの趣味や思考の人たちが集まり続けることは、確かに楽しい。「好きなコトを語らうって、いいよね」的な風潮。これは特にオタクを名乗る人の間では強かったように思う。しかしXをやっていてよく感じたのが、「彼らは自分の興味の範囲内でしか活動していない」という事だった。コレが僕にとってはちょっと恐ろしく感じた。

          だから僕はXをやめた。SNSに分断されゆく人々を考える。

          初めまして。ブログを始めます。

          どうもはじめまして。 世界がグローバル化する、つまり、情報化しています。私は若年ではありますが、その流れを感じて育ってきました。Xとかインスタとか、SNSを使うのはZ世代の性で、私も無論使ってきました。けれど、旧世代の堅実さとか、格式のあるものに触れるほどに、今時のSNSやってるのがバカみたいに思えてしまった。 だから、ちょっと保守的になろうと思います。ブログという媒体に先祖帰りしようかな、と。とはいえ、Z世代の青二才にブログはかえって目新しく写りさえします。諸行無常です

          初めまして。ブログを始めます。