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2024年10月12日、今日の日記。

 まだ夕方で、今日を終えてはいませんが、書きたいと思えたので、書こうと思います。


①今日あった良いこと、その理由

  めちゃくちゃ寝ました!少し罪悪感も残るけど(昨日の夜は調子良ければ朝から映画館に行こうとしてたから笑)、でも最近不眠傾向だったので、お昼近くまでしっかり寝れたことがよかった。睡眠は大切。
  そして、夕方から「本を読むため」に出かけて、カフェで本を読みました。うん、好きな休日です。

②今日あった嫌なこと、その理由

  昨日の夜、なぜか涙が溢れたりもしてたんだけど、それが何故かとかもあまり口にしたくない感じです。うーん、なんだろう、今あたしは沢山悩んでいて、考えていて、でも「それでいい」と思っています。答えを出せなくても、はっきりしなくても、いいと思っています。理由がなくても、それを許したいと思っています。でも苦しいから涙に変わったりするんだろうから、それは少ししんどいけど、でもなんかね、ちょっと労わってあげたいんです。上手く言えないな

③今日見た/聴いた/読んだこと、その感想

 引き続き読み進めている、「世界の適切な保存」(永井玲衣)。 

 天気予報について、こんなお話が続きました。

天気という人間が左右することの出来ない現象を「予報」するとは、まるで預言者ではないか。

「世界の適切な保存」(永井玲衣)P108 

それはもしかすると「未来」というまだ存在しない時間軸を一瞬でも生きることができるからなのではないか。

「世界の適切な保存」(永井玲衣)P110

 ここで思い出したことがある。精神的な疾患を持つ方のケアを仕事でしていた時、その方はいつ何時も沢山電話をかけてくる人だった。その日はいつもにも増して電話の数が多くて、「何時になったら○○のお金は振り込まれるでしょうか」というもの。銀行だって「何時頃」としか答えられないようなものについて、こちらも何も言えない。ただ適当な時間を答えると、それが違った時にさらにパニックになる。できる限りのお返事として「午前中だと思います、遅くても午後一番にはきっと振り込まれてるから、待ってみましょう」と伝えていたけれど、〝曖昧〟を受け止めることが苦手なその方には届かない。あたしはいつも思っていたけれど、人間の力ではどうしようもないことってこの世の中に沢山あるし、上手くいかないこともあるし、想像通りに物事が運ぶわけなくて、でもそれを受け止めることがどうにも出来ない人が沢山いた。それは、上手くいかなかった時に「まあいっか」と受け止めたり、受け止めて貰えた、いわゆる成功体験がないと、「まあいっか」と笑う力はなかなか持てないのだと思った。
そしてね、あたしは、何度目か分からない電話をとって、こう言ったのだ。「天気予報ってあるじゃないですか。あれって大体当たるけど、100パーセントじゃないですよね。何時頃から雨かもとか晴れるかもとか、それなりに当たるけど当たらないこともありますよね。それと同じなんです。私たちには分からないことがあるんですよ、気になって仕方ない気持ちと、それを落ち着けたい気持ちも分かりますが、どーしても分からないこともあるんですよ。」するとその人は、なるほどというリアクションをして電話を切った。
周りの仲間からは「ナイス例え!」と言われた。あたしもなんかうまく言えた気がしていた。でも、その後また電話がかかってきて、「あなたの言うことわかりました!天気予報と同じってことよね、はっきりは分からないのよね」とハキハキ話す。「はい、そうなんです」と答える。「だからね、わかったの、私、ただ不安なの!」。
あたしは知ってたよ!と思いつつ、この方からしたら「ただ不安」ということに気付くのにこういうプロセスが必要だったとわかった。そして電話はお金が振り込まれるまで続いた。
本来人間が触れられない境地ってあって、それをまるで触れているかのように見せているものや、全てを網羅することを正義とするような風潮がどこかで流れているんでは無いだろうか。
あたしは基本、雨が降ってきても「あらまあ」と思う。だって、仕方ないじゃん。でも、これはあたしが愛されてきたからこその楽観的思考なんだろうな。いつか、職場の最寄り駅を繋ぐ電車が全て止まってしまい、みんなが「どうやって帰ろう」と慌てふためいたことがあった。あたしはその中でぽけーっとしていた。とりあえず今すぐには帰れないんだな、と思った。適当に歩いたら動き始めるかもしれないし、最悪家まで歩くか、きつくなったらタクシーとか?とか、ふわふわとは何かを考えていた。あまりに動揺しないあたしに同期が「なんでそんな落ち着いていられるの」と言ってきたので、「いや、どうしようもないし、、最悪どうにかなるよね」と返したら、「あー、みんなに愛されてきた人だ、どうにかしてくれる人がいたんでしょ」と言われた。ぎくっとした。間違いなかった。兄2人に甘やかされてきましたよ、ええ。
でもこれは「自分に起きていること」だからで、誰かに起きていることだったら、あたしも落ち着いてはいられないんですけどね。
ちょっと話が逸れてしまったかもしれないけど、「世界の適切な保存」は、哲学ってこんなに身近なんだと改めて思わされる本です。ちょこちょこ戻って読み返しながら読了したいな。

④今日食べておいしかったもの

 特になし!!笑

⑤今日書きたいこと

  昨日のマルチェの日記、熱くて最高でしたね。
 ③に少し続きますが、このあとこの本の中でひとつの短歌が紹介されます。
  

カレンダーめくり忘れていた僕が二秒で終わらせる五、六月

木下龍也

まさにこんな数ヶ月でした、あたし。とてつもなく大変なことがあった夏。あたしの部屋のカレンダーは5、6月で止まっていて、世界は7月に変わっても心は6月のままでした。
それを最近、彼がびりびりっと破いたんです。彼が5.6月と合わせて7.8月も破って、あたしの部屋に秋がきました。彼は「これ、破っていい?」と聞いて、あたしは「あぁ、うん。あたしずっと6月にいたんだわ」と返しました。たぶん。
びりびりっと破ったその数秒のように、軽々しくはないこの数ヶ月だけど、まるでその時は、軽やかに感じるんだから、「時間」って言うのは不思議ですね。とわ子さんがかごめちゃんのことを思った時の小鳥遊さんのセリフとかも思い出しますよね。もう引用する力がないですが。

昨日のマルチェの日記とも通じる気がするんです。時間はその一瞬だけ、過ぎ去るものだけど、本当は過ぎ去らない。マルチェが時々その時間に戻りながら、いや横にいつもある中で生きていくように。
だからこそ、苦しみも終わったからと言っても終わってないんですけどね。でも幸せが隣にあることを忘れたくないなと思います。

今日はなんだか、あたしも少し熱くなりました。
ふふふ、土曜日の終わる夕方、悪くないですね。

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