相手がそうするしかなかった理由を考える。
個人ではなく会社に属して組織の中で仕事をしていると、各業務は細分化されていて、各部署が担う業務について変更があれば社内で共有されることは一般的だと思います。
社歴が長く、多くの部署で働いた経験がある人は別として、多くの人は今いる部署の立場から意見をすることが多いと思います。
私はそれは必要なことだと思っていて、それぞれの立場で議論をしながら組織の目指す方向にまとまっていければいいと考えるからです。
また、議論をする前から相手に気を使いすぎるコストは、できるだけ省いたほうがコスパがいいのではないかとも思います。
そこがメインの話ではなく今日私が言いたいのは、人からの意見や周知される内容について、自分達の立場から考えて、分かっていないな〜と相手を思うより、相手がそうせざるを得なかった理由を考えた方が気持ちが楽だし、次につながるなと思ったことです。
個人で考えても同じことが言えると思います。
相手の言動に対して、自分のポリシーに反する部分があれば違和感を感じたり、腹を立てたりすることがあります。
しかし、それはあくまで自分の立場でものを考えていて、相手が自分を解るわけがないんです。
解っていたとしても、言葉や行動で表現しきれるわけもないです。
そんな時に、いちいち腹を立てるよりは、相手がそうせざるを得なかったのは何故かを考える方が後の建設的な議論に繋がりますし、何より自分の心が落ち着き、自分の機嫌は自分で取ることにつながります。
表面に現れる言動は思考の結果に過ぎず、人との付き合いは結果だけで評価できるものではないため、この考え方はそんな思考過程に着目し、物事を多面的にとらえることにもなります。
相手の立場になって考えることや思いやりなんかは一般的すぎて、この言葉だけで通じた気になりますが、それはあくまでスタンスであって、実はすごく抽象的な言葉だなと感じます。
これを少し具体的に表現するのであれば、相手の立場に立ち、相手から現れた具体的な言動に注目し、なぜそのようになったのか、もしくはそうせざるを得なかったのか思考過程を想像することが思いやりではないかと考えます。
私もまだまだ修行の身であり、人は論理よりも感情の反応速度が早いので、人混みで肩がぶつかったりすると、イラッとしてしまいますが、すぐに「遅刻しそうで焦っていたんだな〜」とか「部活帰りで疲れていたのかな〜」と決めつけて、自分の機嫌をとっています。
これは小さなことの例ですが同じだと思っています。
腹を立てる自分、時にはそれが糧となりますが、私はいつも平穏な心で過ごしたいと思っています。
今日もいい1日です。