幸福否定の研究-17 【幸福否定の治療-1 笠原氏の心理療法について】

*この記事は、2012年~2013年にかけてウェブスペース En-Sophに掲載された記事の転載です。

【幸福否定の研究とは?】
勉強するために机に向かおうとすると、掃除などの他の事をしたくなったり、娯楽に耽りたくなる。自分の進歩に関係する事は、実行することが難しく、“時間潰し”は何時間でも苦もなくできてしまう。自らを“幸福にしよう”、"進歩、成長させよう”と思う反面、“幸福”や“進歩”から遠ざける行動をとってしまう、人間の心のしくみに関する研究の紹介。

前回までで、1970年代に開発された小坂療法から笠原氏の心理療法が確立されるまでの経緯をひととおり説明しました。今回は、笠原氏の心理療法における症例について書きたいと思います。

笠原氏の心理療法の本質は、患者が抵抗に直面することであり、その際、感情の演技という方法を用い、抵抗に直面しているかどうかの指標として、反応の強さを観察します。そして、同時に“症状の直前の出来事を探る”という小坂療法を踏襲した方法も用いて症状の原因を探りますが、いずれにせよ、反応を頼りに強い抵抗へ直面させ続けるという点に治療の本質があります。

精神疾患全般、その他心因性疾患の症例があるようですが、特筆すべきは精神分裂病の症例が存在することでしょう。

(前略)20代半ばの女性ですが、母親の話では、ある大学病院の医師から分裂病と診断され、「一生あきらめてください」と言われて、入院の対象にすらされなかったそうです。そのことからすると、分裂病の欠陥状態と診断されたはずです。その後は通院も服薬もしていません。

心理療法をはじめたばかりの頃は、分裂病の慢性状態にあるため、コミュニケーションすらまともにできないほどの支離滅裂状態でしたが、しばらくの間、感情の演技をむりやり繰り返させたところ、症状が次第に改善され、徐々に前向きになってきました。その段階になると好転の否定(注1)が起こることは避けられません。

(中略)

最初は薬を飲んでいるわけでもないのに、表情は乏しく体の動きも鈍く、ひと桁の足し算すらできないほど頭の働きも悪かったのですが、心理療法の進展につれて、そうした症状が少しずつ改善されてきました。そして以前には全く考えられなかったことですが、父親の仕事(ある商店)を手伝うまでに回復したのです。

(中略)

その後も、大変な紆余曲折がありましたが、最終的には、母親が驚くほど頭の回転が速くなり、自分から冗談を言うまでになりました。そして、「私よりも速い」と母親が感嘆するほどてきぱきとした行動をするようになったのです。
さらには、それまで長い間、全身に柔軟さが欠けていたために弾けなかったピアノも弾けるようになりました。これには本人がびっくりしています。

そして、OLとして仕事を続け、自分で相手を見つけ結婚したのです。最初に受診した大学病院では「結婚なんてとんでもない。一生あきらめてください」と言われていたのでした。(『本心と抵抗―自発性の精神病理』 P139~144)

上記のように、症状を抑える事を目的とする治療法と違い、根本的に人格の変化が起こってくるので生活全般が好転してきます。当然のことながら、精神分裂病の場合は患者に感情の演技をやらせること自体が大変困難な上、長期に渡る修業のような治療法を継続することも非常に難しいので、続く患者が少ないという現実はあります。

しかし、笠原氏が行なっているような、根本的な人格の変化が起こる治療法(修業法なども含む)を私は他に知りませんし、不可能と思われている/いた分裂病の根本改善、治癒が可能だった例が存在するということは、現状の精神医学を全般的に見直す必要さえある気がします。

また、笠原氏は心理療法が完成する前に、自責や反省という観点から内観法を検討していた時期があるようです。笠原氏自身が大和郡山に創始者の吉本伊信氏を訪ねて一週間の内観を行い、その後、病院で希望者に略式の内観を行っており、内観研究所にも何人かの希望者を紹介していました。
内観法では、さまざまな問題解決されることの他に、心因性の症状が劇的に好転することが多いと言われているようですが、その代わりに、実生活に戻るとすぐに再発することも多いようです。

内観法、各種瞑想法などの修業法や、その他東洋医学や心理療法で行われている治療法では、重度の精神疾患の場合は症状が劇的に改善することもありますが、短期的、あるいは長期的にはもとの状態に戻ってしまう事が多いのが現状です。(内観法の記述は、笠原氏の『幸福否定の構造』P75~77を参照しました)

そうした意味でも、根本から人格面の異常性が薄れ、それに伴って精神疾患なども根本改善を見せ、症状が減ってくるという状態は他の治療法とは全く異なるものです。
また、一つの方法で心が関係している症状全てに対応可能だという事も、笠原氏の心理療法が本質的な人格治療法として成立していることを証明すると思います。

私自身が人格障害の患者さんを東洋医学で施術していた時、“患者さんの自虐的な側面が薄れてこなければどうにもならない”と感じてから10年近くが経過していますが、現在では自虐性を弱める方法があり、(笠原氏の言葉で言うと、「幸福否定の治療」)、4年間の追試を経て、感情の演技という方法で、時間はかかりますが解決することが可能である、という確信を持っています。

笠原氏は、心を三層構造に分けて説明していますので、以下にそれを紹介します。

■ 笠原氏の考える人間の心の三層構造
(以下、引用図、テキスト共に『本心と抵抗』 P81~82)

私が考える人間の心の三層構造について簡単に解説しておきます。
その考えかたに基づいて整理したほうが、いろいろな問題点がわかりやすくなるからです。私の考える心の構造は、次のように三層になっています。

―――――――――――――――
       意識
――――――――――――――― 
       内心           内心、本心がいわゆる無意識
――――――――――――――― 
       本心
―――――――――――――――

心の表層にあるのが私たちの意識です。
ふだん感じている意識のことですから、これについては説明するまでもないでしょう。そのすぐ下には内心と呼ばれる層があります。これが幸福を否定する意志を持つ層です。さらにその下に本心と呼ばれる層があります。

本心には、素直な感情ばかりではなく、全知全能(注2)とも言うべき能力や崇高とも言える人格が潜んでいると、私は考えています。
したがって、内心は、本心の表出を阻止しようとする強力な意志を持つ層ということになります。この内心と本心は精神分析をはじめとする無意識理論の概念とは根本から違いますので、混同しないように注意してください。

人間の心が、本当のところどのような構造になっているのかはわかりません。ここではとりあえず、このような三層になっていて、内心は本心を否定するという目的を持っており、意識は、内心と本心の両方を隠すための覆いのようになっていると考えておけばよいでしょう。

幸福を否定しようとする強い意志は、育てられかたや周囲からのストレスなどの環境的要因とは無関係に存在するもののようです。つまり、一般に言われるように、幼児期の虐待やそれによる”トラウマ"などによって発生するものではないということです。

そうすると、では幸福否定という奇妙な心の動きがなぜあるのか、という疑問が出てきます。もちろんその理由はよくわかりませんが、万人にあるらしいことから考えても、個人が置かれた環境などの小さな要因によるものではなく、生命の進化の中に位置づけるべき根源的現象のように思います。(注3)

私が、「自虐性を薄くする」と表現している事は、笠原氏の心のモデルで表現すると、内心の力を弱める、という事になります。抵抗に直面すること自体が治療となり、内心の力を弱めた結果として患者の人格面の問題が改善し、必然的に病気や問題構造の根本改善が起こる…。

私自身が四年間追試をし、こうした仮定を裏付ける結果を得ています。
次回は、その追試結果を詳しく書いてみたいと思います。

(つづく)

注1:好転の否定について
「…好転の否定とは、自分が何らかの好転をしたことが、何らかの出来事を通じて自分の意識にわかりそうになると、それに即座に否定して症状を出現させる現象のことです。つまり、ふつうのうれしさの否定ではなく、<自分が好転したことのうれしさの否定>という特殊な現象なのです。したがって、例外的な事例を別にすれば、私の心理療法のように、幸福否定に基づく抵抗を減らそうとする試みによってしか起こらないので、好転の否定という現象が一般に観察されることは、まずありません(一般には、一流のスポーツ選手や芸術家などに見られる<スランプ>がそれに近いように思います)」(『本心と抵抗』 P115~116)

上記の著書で挙げられている患者の例では、それまでは母親にむりやり連れてこられていた本人が、はじめて自分で支度をし心理療法に向かった日に、車中で母親と「何であんなところに行くの」と騒ぎだし、心の研究室についてからも、ドアを開けるなり笠原氏に食ってかかり、物を投げつけ、殴りかかろうとまでした様子が書かれています。母親も笠原氏も帰るように命じましたが、本人が決して帰ろうとしなかったことからも、心理療法に前向きに取り組むように変化し、それを否定する症状がでたことがわかります。分裂病なので、上記のような大変な症状になりますが、一般的には症状が根本改善する前に一時的に強くなる、薬が減る前に一時的に増える、など大きな問題にはなりません。
注2:
症状を観察しているとわかることですが、ある状況になると症状を出し、違う状況になると引っこめるという事を瞬間的に行うことができるので、本来人間は非常に高い能力を持っている事がわかります。いまどのような状況なのかを無意識下で完全に把握している、症状をつくる仕組みをしっているなど、かなり高度な状況把握をしていないとできないことを簡単に行うので、そのような意味では全知全能と言えるかもしれません。ですが、当然のことながら日常的には能力を発揮できないので、常に何でもできるという意味ではありません。
注3:
この後、通常使われる抵抗という言葉は、自分にとっていやなものを避けるという意味で使われ、笠原氏の使う抵抗という言葉は、幸福に対する抵抗を意味しているという用語の解説がありますが、重複するので割愛します。

文:ファミリー矯正院 心理療法室 /渡辺 俊介

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