幸福否定の研究-13 【幸福否定の研究と心理療法確立までの経緯-6】

*この記事は、2012年~2013年にかけてウェブスペース En-Sophに掲載された記事の転載です。

【幸福否定の研究とは?】
勉強するために机に向かおうとすると、掃除などの他の事をしたくなったり、娯楽に耽りたくなる。自分の進歩に関係する事は、実行することが難しく、“時間潰し”は何時間でも苦もなくできてしまう。自らを“幸福にしよう”、"進歩、成長させよう”と思う反面、“幸福”や“進歩”から遠ざける行動をとってしまう、人間の心のしくみに関する研究の紹介

(承前)

前回は、小坂療法を続けていると起こってくる【イヤラシイ再発】について触れました。この再発は患者への対応を著しく困難にしてしまうのですが、今回はさらに重要なことを述べたいと思います。

それは、【治療に対する抵抗】という現象です。
【治療への抵抗】とは何か?以下に、【抵抗】の具体的な状態を引用します。

…もちろん、よいことばかりではなかった。それどころか、難しい対応を迫られる、さまざまな問題が続出した。ひとつは、患者や家族に、治療に対する抵抗が極めて強く起こるようになったことである。

抵抗という現象は精神分析などではよく知られているが、この方法で観察される抵抗は、従来的な方法で観察されるものの比ではないことが多い。

分裂病患者のほとんどは、ふだんはおとなしく見えても、窮地に陥ると、常識を大幅に逸脱するという特徴を持っている。そのため、無関係のことをわめきちらして、話が聞こえないようにしたり、果ては暴力に訴えたりなどの、非常識的な、あるいは異常な行動が起こることが多いのである。このような状態になると、本人への対応が相当難しくなる。

その結果、小坂療法で悪化した、というとらえかたをされてしまうことが多かったのである。(『幸福否定の構造』/ 笠原敏雄著 p51)
私の患者たちも、それに負けず劣らず、抵抗や【いやらしい再発】の状態に陥り、院内や院外で数々の問題を引き起こして、ついには、院長に対外的な迷惑が繰り返し及ぶようになった。

その結果として、私自身も院内で次第に理解者を失い、治療者や看護者から敵対視されるようになり、それと相前後して患者数も減少し、現実問題として、この治療法を継続することが難しくなった。

いわば、小坂と似通った運命を辿ったのである。(『幸福否定の構造』 p52)
    
一方、奇妙な現象にも、次第に気がつくようになっていた。それは、小坂療法に対する専門家たちの、不可思議かつ不可解な態度である。小坂からは、学会の中で、理論や治療法とは何の関係もない人格攻撃的な流言や雑言がいくつか流されたことを聞いたが、私も同種の体験を何度かしている。

その典型例は、当時、わが国で指導的な立場にいた、国立大学精神科教授の態度である。ある会合で、私が小坂療法を行っていることを、私の病院の院長から聞いた教授は、「きみ、小坂の言っていることはみんなうそだよ」と、私の前で断言した。

にもかかわらず、実際には、小坂に対するその種のうわさ話を耳にしていただけで、小坂療法自体については、ほとんど知らなかったのである。現実に小坂療法の効果を確認している者の前で、専門家としての名声が高いとはいえ、それについては無知に近い人物が、なぜこのような態度が取れるのか、当時の私には全く 理解できなかった。(『幸福否定の構造』 p53)

一般的な意味での抵抗に厳密な定義はありませんが、私が今まで読んだ文献の範囲内では【疾病利得】という意味で、治る事に抵抗がある、と書かれていることが多いです。

具体的には、裁判中の交通事故の患者は治りが悪い、生活保護をもらっている患者は治りが悪いなど、要は治ったら治ったで都合が悪いから病気のままでいる、という意味になります。(注1)

小坂療法への抵抗は、通常の抵抗の説明には見られない根本的な違いがあります。まず、純粋に治療という側面では、以下のようなことが障害になります。

・根本的に改善しているのに(病気の症状が軽減する)、対応が難しくなる(人格的な問題点が浮上する)という矛盾した状態が出てくるので、治療が継続できなくなる

・治療する側が効果を無視してしまう。精神分裂病ではなかった、と診断を覆してしまう

次に、治療法に関する周囲の態度においても、いくつもの抵抗が起きてきます。

・患者だけでなく、家族、治療者にも抵抗が働く(範囲)

・治療をやめてしまうだけでなく、根も葉もない治療者への人格攻撃が行われるなど、程度が格段に強い(強さ)(注2)

・通常の新しい考え方への抵抗は時間の経過と共に薄らいでいくが、数十年を経過しても、そのような気配がない。(通常の抵抗に比べると異質)

これら抵抗の根本的な違いが、果たして正しいか、正しくないかは論争になり得ないのですが(注3)、抵抗そのものを研究することは、非常に大きな意味を持ちます。

治療の分野では、治療家自身が抵抗を追い続ける姿勢を持ち続ける事が必須条件となりますが(注4)、今まで解決不可能だった病気を解決することが可能になったり、応用的に様々な症状、病気、範囲を広げ異常行動の説明ができるようになります。

抵抗があることが正確にわかるようになると、どこを追いかければよいのか、という指標にもなります。私自身、まだいくつかの研究課題が出てきた段階ですが、30年弱、抵抗を研究している笠原氏のサイトでその成果を見る事ができます。

(つづく)

注1
【疾病利得】に関して、笠原氏自身は以下のように否定しています。「…【疾病利得】という考え方には、重大な欠陥がある。ひとつは、病気になって得になる場合とならない場合とが、外からは区別できないことである。もう一つは、疾病によって利得を求めるのであるとすれば、そうしたもくろみが明らかにされることは致命的にマイナスになるにもかかわらず、容易にその″手口を見抜かれて″ しまうことが多いことである。」
(『なぜあの人は懲りないのか困らないのか』 p65)

注2
私の経験だけでも、心理療法をはじめてから脅迫が2件あります。
また、「大学院を出ていると書いてあるが、大学院を出ている程ではないから返金しろ」(私は大学院に行っておらず、経歴等に、そのような記述はありません)など心理療法とは全く無関係な内容です。
また、手技の施術でも、症状が出た時の事を詳しく聞いていたら、突然、付き添い者に「同じ事を何回聞くんだ!」と1時間弱に渡り罵倒された経験もあります。
治療家になって13年になりますが、手技のみの治療ではこのような経験はありません。ほとんど起こらないのですが、多少の口論があっても、あくまで症状が取れないなど、理解できる不満が主になります。

注3
小坂療法への抵抗の本質を確認するには、まず小坂療法の追試を行う事が必要です。患者、家族の抵抗を確認することはできますが、何人もの治療家が正確な追試を行う事ができれば、少なくとも、「治療者にも抵抗が働く」という笠原氏の理論は間違っている事になりますが、現在のところそのような状況にはなっていません。

症状の直前の出来事を探る、という理論上は簡単な手続きなので、患者さんと話す時間さえあれば追試は可能です。

精神分裂病ほど劇的に症状が変化するわけではありませんが、笠原氏、そして私(渡辺)と、他の心因性症状でもある程度は症状が軽くなる事を確認しているので、他の心因性疾患でも確かめる事は可能です。

笠原氏は、小坂医師の抑圧解除と、幸福否定を理解した上で直前の出来事を探る手続きを分けて考えています。これも重要な事なのですが、幸福否定の辿り着くまでの過程からは逸れてしまうので割愛します。

注4
抵抗に直面する、というのは笠原氏の心理療法になります。心因性の病気は様々ありますが、それぞれ、治療する側、患者側共に、抵抗を乗り越える必要があり、そのような姿勢を最初から持っている患者さんが治療院に来て、心理療法の説明を受け、取り組む事が条件となります。

したがって、治療する側、患者側とも最初は例外的な人が取り組む事になります。第8回で書いた、人格障害の患者さんは、実生活の中で、抵抗に直面していく生き方をしていたので、根本的に改善したと思われます。

文 ファミリー矯正院 心理療法室 / 渡辺 俊介


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