幸福否定の研究-16 【幸福否定の発見と心理療法の確立-9】

*この記事は、2012年~2013年にかけてウェブスペース En-Sophに掲載された記事の転載です。

【幸福否定の研究とは?】
勉強するために机に向かおうとすると、掃除などの他の事をしたくなったり、娯楽に耽りたくなる。自分の進歩に関係する事は、実行することが難しく、“時間潰し”は何時間でも苦もなくできてしまう。自らを“幸福にしよう”、"進歩、成長させよう”と思う反面、“幸福”や“進歩”から遠ざける行動をとってしまう、人間の心のしくみに関する研究の紹介

前回は、笠原氏が治療の方法論として【空想】という手法を用いるに至った経緯と、分裂病の症状を引き起こす原因の解釈として【ライバル論】から【PTSD理論】、そして【幸福否定】の一歩手前に辿りつくまでの過程を書きました。

今回は、【感情の演技】という治療法と、【幸福否定】の理論が完成するまでの過程を書いてみたいと思います。

=治療の方法論の確立=

感情の演技という、私の治療法の根幹となる方法を用いるようになったのは、一九八四年の一〇月であった。それまで使っていた空想という方法でも、感情を作らせることがなかったわけではない。しかし、感情の演技では、感情自体を重視するようになり、場面のイメージではなく、まさに感情を作らせることに焦点を絞ったのである。

ほとんどの場合「病気が治ってうれしい」「目標が達成されてうれしい」「母親に愛されてうれしい」、「自分が幸せになってうれしい」、など、素直なうれしさを作らせるが、稀には、「母親が死んで悲しい」などとして、悲しみをつくらせることもある。空想的な方向や、物語を発展させる方向に流れるという逃げ道を封じさえすれば、いずれもかなり難しく、あくび、眠気、身体的変化という三種類の反応のいずれかが出現した。

時間の長さは、試行錯誤を繰り返した末、二分と決められた。(中略)通常の集中なら、訓練を重ねれば、かなり上達するようになる。しかし、感情の演技の場合はそうではない。二時間程度なら雑念なく集中できるほどの瞑想の達人であっても、感情の演技ということになると、わずか二分の集中を続けるのが難しかった。(中略)感情の演技を効果的にさせるためのこつも、次第にわかってきた。

それは、ひとことで言えば、感情を作るのがなるべく難しくなるような条件を積極的に設定させるということである。できやすくなるように工夫することが、一般に言われるこつであるが、感情の演技の場合には、抵抗が起こりやすくなるように、感情を作らせることを通じて、幸福に対する抵抗に直面させ、それを弱めることが、治療に直接つながるからである。(『幸福否定の構造』p92~94 以下引用すべて同書)

小坂療法では、【反応】の位置づけはあくまで原因を探る目安でした。
【反応】を頼りにしながら、症状が出現した時の出来事で記憶が消えている部分を探る事がそのまま治療になるという事でしたが、この方法では、患者が【イヤラシイ再発】と呼ばれる状態になると効かなくなってしまうという、大きな問題点がありました。

また、症状が出ないと治療ができないということになるので、患者からすると積極的に自分を変えていくということが難しいと言えると思います。
笠原氏の心理療法では、症状の直前の原因を探る過程での反応、空想をつかっての反応、実感をつくって抵抗に直面し、それに伴って出る反応、と、積極的により強い抵抗に直面するように方法を変化させています。

=原因についての試行錯誤=

”症状の直前の出来事で、記憶が消えている部分を、反応を目安に探ってゆく”という小坂療法の手法で、治療と同時に症状の原因を探っていた笠原氏ですが、心因性症状の発症原因は、ライバルの存在と勝ち負けが関係している、という「ライバル理論」では説明できない例も多数出てくることがわかってきました。

以下の例は、その試行錯誤の過程です。

一九八一年七月、三〇代前半の女性教諭が頭痛とめまいを訴えて、心理療法を開始した。(中略)三週間ほど前から症状が起こっているというので、まず、その頃に起こった出来事を細かく聞き出した。

まもなく、高学年の児童を集めた朝の集会で、自分がリーダー役を務めたことを思い出した。そのことが意識に昇った瞬間、軽い眠気とめまいが一過性に起こっている。(中略)その高学年集会では、集まった児童全員に、計画通りあるゲームをさせた。

ところが、予想に反して、それがかなり長引いた。そこで、続けて一時限目も使うことになったが、今度は、逆に二〇分ほど時間が余ってしまい、本人は、そこで立ち往生してしまう。そして、「どうしていいかわからなくなり、深く突き落とされた感じ」がして、そのしばらく後に、強い頭痛とめまいが起こったのであった。

しかし、その症状が出る直前の時間帯については、よく覚えていなかった。その時間帯に起こった出来事の記憶は、数回後の面接で意識に浮かび上がった。それは生活指導主任の男性教諭が、急遽壇上に登って、学内での注意事項を子どもたちに向かって話し始めたという出来事であった。

それまで、その記憶は本人の意識から完全に消えていた。頭痛はその直後に起こっていたのである。したがって、この男性教師のおかげでまさに救われたのであって、そこで悪いことが起こっていたわけではなかった。

この出来事については、ライバルとの関連でも二年近くにわたって詳しく検討している。しかし、ライバル関係は、その症状の真の原因とはほど遠いことが結果的に判明した。また、男性教師が割って入ったことで本人の面目がつぶされたなどの通常の解釈も、この場合、成立しなかった。(同上、p88~89)

二年間、夏休みにはほぼ毎日、面接を続けて徹底的に原因を探ったようですが、【幸福否定】という発想自体がなかったため、この段階では原因はわからなかったようです。

但し、症状は【直前の出来事を思い出せば改善する】ので、最初の数回の面接でおさまっています。このような、原因を探る徹底した作業が、【幸福否定】の発見に繋がっていきます。

症状とは、何よりも自分の意識を説得する手段なのではないか、と初めて考えたのは、一九八四年の六月であった。しかし、うれしさの否定から症状を作るという考え方には容易に辿り着かなかった。不幸志願ないし幸福の否定という考えかたをとっているのであれば、心理的原因についても、幸福の否定という視点から考えるべきである。

ところが、その時点ではそういう着想に到らなかった。このふたつがようやく結びついたのは、六ヶ月後の一二月末になってからであった。

ただし、最初の頃は、そうした事例は例外的なもの考えていた。後述するごく一部の特殊な例を除いて、すべての症状や異常行動の発生が幸福の否定に関係すると考えるようになるまでには、もう少し時間が必要であった。この発見は、私の心理療法理論を、さらには、私独自の人間観を打ち立てるうえで、最も大きな転機となった。そして、この時点で、いわゆる心因性疾患ばかりではなく、登校拒否や引きこもりなどの行動異常も、同じメカニズムで起こるころがわかった。さらには犯罪なども、同じ幸福否定という概念で説明できるのではないか、と考えるようになったのである。

幸福の否定によって心因性の症状が出現すると考えると、先ほど紹介した女性教諭の例も、非常にわかりやすくなる。その男性教師の好意を、あるいは同僚たちから自分の存在が尊重されていること素直に喜ぶべきであったのに、幸福否定のために、それができず、その結果として、その出来事の記憶を消し、うれしさを帳消しにする形で症状を作ってしまったということである。
現在の精神医学の枠内で、心理的要因が発症に関与しているとされるのは、うつ病を除けばひとつもない。うつ病が好発するのは、結婚、出産、就職、昇進、家の新築といった、通常は幸福なはずの状況とされているのである。

しかし、このような見かたは誤解を招きやすい。
心理的原因に関係する事柄は、本人にとって、心理的出来事として重要であるのはまちがいない。しかし、うつ病の発病状況について言われているのとは違って、実際には出来事そのものの規模や社会的重要性が大きいとは限らない。それどころか、小さいもののほうが圧倒的に多いであろう。

いずれにせよ、この時点で、心理的要因が関係するものであれば、どのような問題や状況であっても、幸福否定という考えかたで治療や対応ができることがわかってきたのである。(同上、p96~98)

このようにして、小坂医師、笠原氏と、数十年に渡って【症状の直前の出来事を探る、反応を追いかける】という作業を続け、また、反応を追いかけることを応用し、感情の演技という治療法を開発し、不可能とされていた分裂病の治癒まで達成することになります。(注1)

また、他の精神疾患はもちろんの事、がん(二例)やその他の、心が関係する病や異常行動の改善、治癒例が非常に多岐にわたり存在するのですが、人間の本質をついた治療法であるがゆえに、患者さんにとって非常にハードルが高いという側面があります。

以上を踏まえた上で、次回は、私が4年間の追試をした結果を中心に、この治療法がどのような性質を持つのかを書いてみたいと思います。

(つづく)

注1

当然のことながら、患者にとっては非常に難易度の高い治療法になるので例は多くはありませんが、難易度が高くても不可能とされていた疾患に、一つの根本解決の道を提示した事は非常に大きな事だと言えると思います。

文:ファミリー矯正院 心理療法室/ 渡辺 俊介

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