『この願いが実現できたら、教師を続けていけそうです』|140名の合同研修より
京都府亀岡市では、同じ地域ブロックの1中学校・6小学校・1幼稚園が集い、人権教育を柱とした教育活動を共に行なっている。
「幸せに人生を生き抜く力を身につけさせる」ことを最上位目標と掲げている南桑中学校ブロック。その活動を牽引している杉野先生の熱い想いが源となり、7学校1幼稚園合同の対話研修を実施した。
各学校から集まってきた140名の先生方。
会場に入ると、これまで体験したことがない「サークル型」の場に、戸惑いや期待、「こわっ・・」とつぶやく声など、先生方のさまざまな気持ちが湧き上がる中、研修がスタート。
すでに対話や人権について活動を行なっているからか、最初から頷いて話に集中される先生。腕を組み、少し怪訝そうな表情でじっと聞きいる先生。140名それぞれの多様な視点で、対話を捉えようとしていることが伝わってくる。
心の痛みを場に出す
そんな中、若手のY先生がみんなの前で、ある保護者とのモヤモヤについて話してくださった。
子ども同士のトラブルにあった児童の保護者から、「自宅まで送り届けてほしい」とリクエストされ、毎日放課後、その児童の自宅まで送り届けていたY先生。
ある時、その児童が「家にお母さんがいる」と話しているのを聞き、仕事で不在にしているからという理由でその児童を送り届けていたはずなのに、(自宅にいるなら、自分で迎えにきてほしいし、私が送り届けなくてもいいのに。。)とモヤモヤしたという。
受け取り、共感を向ける
Y先生の悲痛の叫びを、140名の先生全員が真剣に聞き入り、深くうなずき、「(そんな気持ちになるのは)もっともだ!」と共に怒り、Y先生への共感を表情や態度で表現していた。学校や立場を超えて、いち教師の心の痛みを、140名がただただ受け取り、共感を向けるその光景は、圧巻だった。
その光景を自分の目で見たY先生は、「多くの先生たちに痛みを受け取ってもらったことが本当に嬉しい」と話してくれた。
先生方に受容された安心の中、探究していった先に湧いてきた願いは「効果的であること」。
「Y先生は、教師として効果的であることを大切にしたかったんですね。子ども同士でのトラブル、保護者の怒り、さらに悪化しそうな空気。そんな状況を変えるべく、流れをつくり、「効果性のある」対応をできる教師でありたかったのですね。」
そう伝えると、深く頷いたY先生の目から涙がポロポロと湧き出てくる。
経験も知識も乏しい若手の自分が、せめて自分にできることをやろうと「毎日自宅まで送る」という対応をしてきたけど、それによって苦しくなり悶々としていた奥にある自分の真の願いがわかり、核心に触れた安堵と明確さの涙。
願いが言葉になる瞬間
Y先生が心から満たしていきたい願いは、学級でどんなことが起きたとしても、「流れ」を生み出し、「効果的である」ことを体現できる教師であること。
それが実現できたらどうですか?とY先生に尋ねると、こう答えてくれた。
「効果的であることを実感できない痛みを誰よりも知っているY先生だからこそ、その願いを必ず実現していけますよ!」と伝えると、とても晴れやかな表情で力強くうなずいていらっしゃった。
ついつい解決してあげたくなる私たち
若手の先生が悩んでいると、多くの場合、周囲の先輩たちは解決し、励まし、救ってあげたくなる。
「そんな毎日自宅まで送るなんてやらなくていいよ!」
「Y先生は、十分やってるよ!そんな落ち込まなくていいよ!」
「私も若手の時はそうやって苦労したけど、だんだん要領よくなって楽になっていくから大丈夫!」と。
でも、その前に、今ここにある痛みを受容してもらえていないと、周囲が励ませば励ますほど、がんばってきた自分が「ダメだ」と言われているような気持ちになる。
命は呼吸と同じ。
どんなアドバイスや意見も、まず今ある「感情」を一度吐き出さないと、新しい空気を入れることはできない。
痛みの氷が解けるような体験
まずは「そうか。それはつらかったね。Y先生は、担任として効果的であることをしたかったんだね。」と、痛みと願いを受け取ってもらって初めて、痛みの氷が解けて、先輩のアドバイスや意見を受け取ることができる。
研修終了後、参加者の中のお一人が真っ先に走って私の元へやってきた。「私は、Y先生の学校の校長です。実は、Y先生は昨年思い悩んで1年間休職をしていました。復職して1学期を終え、2学期から大丈夫かなと気がかりでしたが、、今日、他の先生方に聞いてもらって、「教師を続けていけそうだ」と自分の言葉で語ってくれて、本当に本当によかった!!」と、嬉しそうに話してくださった。
個人の声はシステムの声
その後の振り返りで、他の若手の先生が「私はそんなに落ち込むタイプではないけど、、Y先生にとってはすごくいい機会だったと思います!」とおっしゃっていた。
確かに、Y先生にとって自分の目で多くの先生から共感してもらう光景を見れたことは大きく、貴重な機会だったと思う。しかし、それは「Y先生個人」だけの話ではない。
個人の声は、システムの声。
日本全国の学校で、同じような痛みや葛藤を感じている若手の先生方が必ずいらっしゃる。
Y先生は、自分の内側にあることを開いてわかちあうことで、この場に多くの学びを与えてくれた。Y先生の「命の声」を、個人の声で終わらせることなく、学校教育の構造(システム)をよりよくするための「一筋の光」として受けとめ、大人も子どもも生き生きと輝ける学校・社会へと向かっていきたい。