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蕎麦アレルギー、年末の憂鬱を乗り越える

私は、蕎麦アレルギーだ。

初めて食べた日に覚えていることは、息が苦しかったことと、親の車の後部座席の天井だ。(車に寝せられて病院へ向かったのだろう。)

それから我が家では『年越しそば』ならぬ『年越しうどん』を食べる文化に切り替わった。

蕎麦というのは厄介で(いや、蕎麦に罪はないので、言い直す)
食物アレルギーというのは厄介で、蕎麦アレルギーのせいで、
麺の蕎麦はもちろん、茹でたゆで汁、蕎麦茶、蕎麦饅頭、
蕎麦饅頭を蒸した湯気など、『蕎麦に関することなら何でもアリです!』で
症状が出てしまうらしい。(すべて実験したわけではないので、何がダメで何が許容範囲なのかは知らない。)

中学校の修学旅行で、夜寝たあとに咳が止まらなくなり、先生に体を起こしてもらい(誰かが呼んだらしい、命の恩人よ、ありがとう。)
呼吸困難になる前に助かったことを思い出す。

原因は蕎麦殻の枕だった。(わお!!!)

食物アレルギーは予想を超えるのだ。
だいたいの心配事は、自分の予想を超えたところで起きる。

最近では、フランス料理のガレットが蕎麦から作られたものだと知って驚愕した。おフランスでも食物アレルギーを懸念せねばならない。

旅先では『蕎麦アレルギーです、蕎麦殻枕もダメです』と伝え、
機内食はいつもアレルギー対応食をオーダーしなければならない。
(ちなみにアレルギー対応食は簡易的なものが多く、美味しくもない。また、経験上一番に最初に配膳されるので、さっさと食べ終わる。)
初めて行くうどん屋では『お蕎麦の取り扱いはありますか?』なんて
「うちは蕎麦屋じゃねェ!よそへ行きな!」と反発をまねくような無礼なことを聞かなければならない。

これでもなかなか大変なのに、時々、心無い人に
『ちょっとくらい大丈夫じゃない?』とか『気にしすぎだよ』と言われると非常に疲れる。
(私は『心無い人』という単語が大好きだ。この単語は、「本当に嫌な奴だなぁ!」ということが凝縮されている気がする)

別に、私のアレルギーを気にかけてほしいとも求めてない。
ただ、自分の体が拒否反応を起こしているものを、食べてどうなるか分からないものを、私は食べようとは思わないだけなのだ。
だから、是非とも放っておいてほしい。

自分の体は自分で守るし、食べるか食べないかは、大事なことは、自分で決める。

年も明けた、年越し蕎麦を楽しむシーズンは過ぎた。
蕎麦アレルギー者が、一番気を付けて過ごさねばならない日々は過ぎたのだ。



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