ウォークとかBEIとかのゲームとか映画
各論とか、何処がとか言う話はしないけど、まぁまぁこの思想に乗っ取られたゲームやら映画やらは次々に自滅しているからどうにもならん。
それで、そう言う作品に対して共通点を上げるとしたら、どれもこれもキャラクターの魅力がゼロなんだよな。
別段、ゲームとかアニメが好きな人間って、ゲイビの話題で盛り上がったり、男の娘にハマったり、欠損表現を愛したりと言う素養は、それこそそうじゃない人々よりもずっと多いと思うんだよね。
だから、例えば例のConcordだって、むっちゃ可愛い男の娘とか、シブい黒人のイケオバとか、義足のイケオジとか、元女の優男とか、イケメンネイティブアメリカンとか、そう言うので固めたら、(ヒーローシューターが既に飽和していると言う問題があるにせよ)ここまで酷い結果にはならなかったと思うんだよ。
ストーリーにしたって、文化や歴史や或いはヒトの大切にしているものを毀損しながら作らなければならないなんてルールはないんだよね。
日本なら百合とかBLとかある訳で、そう言う表現から広げていっても受け入れられたと思うんだよ。
ゲイと黒人と何々と……と言うのを一本の話でまとめるんじゃなくて、ゲイの男同士の愛を描いたミステリーとか、黒人女性が恰好良く活躍するヒーローものでもなんでも、一つに集中して描けば楽しいものが作れる筈だ。
と言うか、素人でも明確にそう言うのが分かっているのに何故そうしないのか?
それは、観客を喜ばせると言うよりも、特定の種類の人達に喜ばれることを目的としているからだろう。
多分、そう言うのに喜ぶ人は、自分の言ったとおりに人を支配するのが楽しいだけであって、作品とか思想なんて実はどうでもいいのだろう。
だから思想を魅力的に描こうとしないし、しようとする人を差別的だと批判する。
BEIを魅力的に描く能力がないと言うよりも、BEIを魅力的に描く事が罪になるとでも考えているフシさえあるのだ。
これは明確に、人間の創造性に対する挑戦でしかない。
世の中の末端でも、それに異を唱える必要はあるし、そのために"自分"の創作を続ける必要があるだろう。