100円で本を売る②【応援されたくない】
【チケットを買ってもらうことが僕への応援になります! ぜひよろしくお願いします!】
という応援される商売。
2025年は、こういう中途半端なものが消えてくる。
年賀状や新聞なんかもそう。なんとなーく習慣的に続けていたものが、バッツリ消える。
応援されることで生き残っていた中途半端なアーティストも、バタバタとくたばっていくとわたしは予想している。
「100円で本を売る理由はもう一つあるんだ」
「なんだ?」
「応援されたくないから」
「どういうことだ?」
応援してくれる人がいるのは嬉しいけど、わたしは応援されるために本を書いているわけではない。noteも応援されるためにやっているのではない。なにか結果を残したいわけでもない。
単純に、面白い経験をしたから伝えたいだけ。
この経験を、本を通じて受け取った人が、なにか心に変化があったらいいなと思う。面白いなって思ってくれたらいいなと思う。
「フォロワーさんにもいるんだ。「応援してます!」って言ってくれる人。すごく優しい人。でもね、嬉しいけど、応援されるってダサいと思うんだ」
「ダサい?」
「応援される人より、応援する人の方がよっぽどかっこいい。だからわたしは応援されたくないの。応援のために本を買うって人がいないようにしたいの」
【チケットを買ってもらうことが僕への応援になります!】
そんなクソダサいことよく言えるなと思う。
「本を100円で売ったらさ、応援するために本を買うって人がいなくなると思うんだ。だって売れば売るほど赤字なんだから」
「たしかに」
「応援とかじゃなくて、本当にわたしの本を100円払って読みたいって人に買ってもらいたいの」
応援されるアーティストに集まる客は、優しい人ばかり。カッコいいのはアーティストではなく客だ。何があろうとアーティストを応援し続ける。
応援されないアーティストに集まる客は、厳しい人もいる。「そのパフォーマンスはダサいっしょ」と、ときに批判する。
一流ほど応援されない。むしろ批判される。
「暖かいお客さんで〜」と言っているアーティストを見ると、客の優しさに甘えているんだなぁと思う。
「ゲッターズ飯田さんの本って、漫画を除いたらたしか世界一売れてるの。なんで売れてるかっていうと、この本って、手に取った人のために書いている本なの。金のインディアンのわたしには、金のインディアンのために書かれている本なの。金のインディアンを応援してくれる本なの」
飯田さんは、ずーっと他人を応援している。ずーっとずーっと応援し続けている。応援するために本を作り、毎日ブログを更新し、街であった人を無料で占い続けている。
だから、カッコいい。
「わたしはね、飯田さんの考え方にすごく憧れるんだ。そういう人間になりたいなって思う。だから100円で売るの。100円で売れば、応援のために本を買う人がいなくなるから。読みたいって人にだけ来てもらいたいの。わたしも常に、誰かを応援する側でいたいから」
考え方は人それぞれだけど、憧れの人がいるのなら、その人の考え方をコピーしたい。
わたしが作る本には、推しの周平くんが出てくる。
周平くんがいてくれてよかった。周平くんがいることで、わたしはずっと応援する側でいられる。応援する側のほうがよっぽどカッコいい。
トップを目指すアーティストも、応援されるのではなく、応援する側を目指してほしい。
その方がカッコいいから。