noteはじめました 韓国と私②
0.noteはじめました こんばんは🌹2日目です
この、noteはじめました、の2日目です。今日は、私の最愛の存在、BTSのJINくんがパリに向かって旅立ちました。今は2024年、韓国のアーティストの皆さまがルイ・ヴィトンをはじめとするハイ・ブランドのアンバサダーの常連であったり、国際的なスポーツイベントに招聘されたりが日常ですが、時を戻して、私が韓国に出会った2001年から2002年の頃は、後にヨン様として日本でも人気を博すことになる美形の俳優のペ・ヨンジュン氏がサングラス・メーカーのレイバンの公式宣伝キャラクターに選ばれていることが特筆された時代。今日のBTSメンバーのJINくんの仁川国際空港からの出国風景が全世界に中継されることなど、当時はとても想像もつかない時代でした。
1.韓国と私② 「韓国映画」というより「アジア映画」の時代
当時大学院の超域文化史専攻の私も、「韓国映画」は親しみがなくても、「アジア映画」として、日本でも配給されて人気を博していたウォン・カーウァイ監督の『欲望の翼』(1990年)『恋する惑星』(1994年)『ブエノスアイレス』(1997年)『花様年華』(2000年)や、アン・リー監督の『恋人たちの食卓』(1994年)、ピーター・チャン監督の『ラブソング』(1996年)といった、香港や台湾を舞台にした作品は映画館のロードショーで観た経験があります。もちろん、韓国映画の大ヒット作『JSA』(2000年)も鑑賞したのですが、香港・台湾・韓国、という括りの印象で、とりたてて「韓国」という印象が残らなかったのが率直な感想。大きく「アジア映画」という括りで無防備に観ていたのだと思います。
2.韓国と私② 驚きの出会い
そんな私が、「これこそが、韓国の映画!」 と思った作品がありました。
それは、大学院の授業ジェンダー美術史の授業で初めて鑑賞した韓国映画『シバジ』(1987年)です。これは、院生がそれぞれ、ジェンダーを考える上で、ゼミのメンバーと考えたいと思う映画作品をピックアップして皆で観る授業形式で、確か、他には、インドやドイツなど、いろいろな国の映画を拝見しましたが、イタリア美術史専攻の博士課程の方が、ヴェネツィア国際映画祭女優賞を受賞した韓国映画ということで紹介してくださった作品です。日本公開は1990年ですが、商業的な作品ではなかったため、劇場で観ている方は私を含め少なくて、ゼミ参加の全員が初めて鑑賞する映画でした。
3.韓国と私② 「シバジ」という存在の衝撃
この映画は、アメリカで封切られた際に「代理母」という意味のタイトル『The Surrogate Mother, The Surrogate Woman』が用いられたように、李氏朝鮮時代から続く、男系の族譜が必須の両班の家系で、どうしても跡継の男子に恵まれない夫婦の夫が気の進まないまま、種受「シバジ」という古くから伝わる制度の村の女性(シバジ)と関係し無事男児を授かりますが、産んでくれたその女性(シバジ)を心から愛してしまう、という物語。
種受(シバジ)役の女性(といっても少女のような若い女性)は依頼の男性の息子を無事出産しますが、男の妻がその赤子を持ち去り、まるで自分が産んだかのように振る舞うのが当時の伝統だった模様。金銭の報酬を介して依頼した両班の男と、種受(シバジ)として、その男の男児を出産した女性は男性と恋に落ちて愛し合うものの、身分の違いから悲恋に終わる、という物語でした。韓国とは異なり、日本は養子文化、というように、子に恵まれない夫婦には、親戚の中で兄弟姉妹が多い夫婦などが協力し融通して、甥を養子と迎えることが昔話等を通して一般的ですが、韓国は純血主義、血統主義なのだそう。あくまでも、家長の男子直系の男子を族譜の系統として尊ぶ伝統らしい(特に両班)と、この映画を通してあらためて実感しました。しかも、産み分けなどない当時、無事望み通りの男児が誕生した場合は、両班の長男として連れていかれその邸宅で育てられますが、反対に、生まれた子どもが女児だった場合、そのシバジの村に引き取られ、成長後は再び自分もまたシバジとして誰かの種受となる人生だった、という繰り返しというから驚きです。
4. 韓国と私② 商業主義ではない映画との出会い
美術史専攻の大学院に進学した私は、それまで、文学研究の、いわゆるテクスト中心主義の勉強や研究しか知らず、イタリア美術史研究者でいらした教授が指導される、いわゆるハイアート、絵画を丹念に見て、画中に描かれている人物の背景や持っている植物や装飾物の象徴をはじめ、注文主やモデル、描かれた社会的背景や政治的メッセージなど、実に多岐に渡る視点から絵画を読む、という研究姿勢に初めて触れ感心することしきりだった当時。
やはり、絵画は本物を見なければならず、美意識というのは、鍛錬を経なければ身につかないものだと肝に銘じた当時の私でした。美、といえば、自分でも日本画を齧って描いていたり、幼い頃からクラシックバレエを習っていた程度で、わかっている事といえば、二次元表現におけるバレエの描写や衣装が紙面上のものにすぎず、実際の、本物の衣装のチュチュのスパンコールの質感は後に流行るコスプレ衣装とは一線を画するクオリティであること位は承知していたつもりでしたが、視線を変えて同じ視覚芸術の映画はいわゆる絵画作品ではないものの、映画というメディアも、いわゆるエンタメ系ではない商業主義ではない映画が、韓国という国の歴史を知る上で、貴重な学びを触発してくれる存在だと知りました。(韓国と私③に続く)