父の糖尿
よく糖尿病は遺伝するといいます。
確かにその通りで、糖尿病の方を親にもつ家族歴がある人はたいていは糖尿になります。
うちは父はおそらくは40歳代から糖尿病でした。
しかも発覚してからもまったくといっていいほどの治療もせず、また自分での食生活や運動などの自己での改善も行わずに70歳代までを迎えました。
父が亡くなってから当時の実家をかたずけに行きましたが、父の書斎には10年以上飲まずにためた糖尿の薬もだし、インシュリン、血糖値の検査キットなど山ほどありました。
書斎の引き出しに入りきらずに、棚の奥にすごい量でした。
おそらくこの量からはまったく使わずにいたのでしょう。見て愕然としたのを覚えています。
父が40歳代の頃は僕はそろそろ家を出ていました。
なので、診断されたことは知っててもそれがどのくらいがどの程度なのかわかりませんでしたし、自分でのコントロールがそれほど難しいものだとは思いもしませんでした。
糖尿のコントロールというのは自分の欲との戦です。
自分を律することができる人物であればいいでしょう。
できない人もいるのです。
それが父でした。
糖尿病の自己コントロールにはまずは疾病をよく理解しどうして悪化するか、どうするとよくなるのかを知る必要があります。
教育です。
父は病院勤務が災いしてか、その教育をしようとする医師とは巡り合わなかったのです。
父には意見できなかったということなのでしょう。
僕は自分が30歳代のころに、父の意識改革を試みました。
糖尿病の悪いところは病認識のないところです。
血糖値がいくら高くても、症状はなかなかでないのです。
なので、好きなだけ食べて好きなだけ飲むという父の生き方を変えるには説得力が僕には足りなかったのです。
何度も何度も喧嘩しました。
喧嘩じゃなにも変わらないのに、ただ僕は自分の意見を言うにとどまっていました。
人の心に響くには、その人の生きざまや、その人に対しての畏敬の念が必要です。
息子ではだめだったのです。
父が70歳代前半の時に、一回目の交通事故があります。
インシュリンの使い方が間違っていたのです。
食べていないのに、定期的に自己注射をしてしまっていたのです。
これも医師の説明不足でありました。
きちんと診察もせずに、自分の病院で処方だけさせて出す事を医師に頼んでいたからなのです。