首都を一つに絞れない国はやはりカオスだった。
トーキョー、ロンドン、パリ、ペキン、ボゴタ…
各国には首都というのが存在する。それはその国の中心地。最先端を行く場所。これまで訪れて来た国々の首都は必ず一つだった。
そんなこと当たり前じゃないか?
しかし、34ヶ国目にして訪れたボリビアという国には、なぜか首都が二つ存在した。
首都を一つに絞れないというぐらいだ。
きっと法制度がしっかり整っているという期待はしない方がいいのだろう。そんな期待を裏切らない、このボリビアという国に、呆れるを通り越して、全ての物事に笑いと愛着が沸いてくる。
杜撰すぎる国境越え
国境越え。日本は島国だから、ほとんどの場合が空路での国境越え。そう簡単には日本の外に出ることはできない。しかしこのアメリカ大陸の国境越えというのは、なかなか簡単にできてしまう。
ペルーのプーノという街から、ボリビアの事実上の行政首都、ラパスに向かうことにした小娘たち。実は、このラパスへの国境越えには大きく分けて二つあった。
①のコースは、コパカバナという海外バックパッカーたちの寄り道ポイントが存在するため、たくさんの旅人たちが往来する国境越えルートだった。しかし、小娘一向は、コパカバナをスキップしてそのままラパスを目指すため、②のルートで行くことに。これが全ての不運の始まりだった。
ペルーのプーノからなんだか雰囲気が変わり、今までの大好きなペルーらしさが失われつつあった。どうしてこうも国境付近の街は、スケッチーなのだろうと思いながらも、旅を進める。
プーノからデサグアデロまでは、コレクティーボー(乗合バン)で向かう。金額は一人15ペソ(約570円)で三時間半ほどかかった。使用した幹線道路が、数十ヶ所に渡る謎の工事により片側通行となったせいで、本来よりも一時間かかる始末。日本ではあり得ない工事の仕方だ。
デサグアデロに到着すると、すでにお昼時。仕方なくチープな食堂に入り、7ペソ(約270円)のランチを頂く。前菜のキヌアスープとメインの白米、謎のレンズ豆のソースは全て冷え切っており、唯一熱々だったトルーチャフリタ(鱒フライ)は、生臭い。まぁ激安食堂なんてこんなもん。あまりにも美味しくなくて、生臭い鱒フライだけやっと食べられた。
腹ごしらえを終え、出国審査窓口へ徒歩で向かう。その途中で、プラザを通り過ぎるが、なんだか騒がしい。どうやら毎年2月はカーニバルシーズンらしく、楽器隊の男性たちと華やかな衣装に身を包んだダンサーの女性たちが、行進しながらパフォーマンスをしている。人混みを避けてたどり着いた窓口の前には、複数人が列を成して、審査を待っている。小娘たちもそこに加わり、10分も経たないうちに順が回ってきて、審査は質問もなくすんなりと終わった。
徒歩で国境となる橋を渡り、ボリビア側の入国審査窓口へ向かう。すると、そこには長蛇の列ができていた。陸路国境の窓口は、出入国審査の窓口が仕切られず、併用パターンがほとんどで、入国者も出国者も同じ列に並ばなくてはならない。歩けど、最後尾は見えて来ず、体感としては1kmほど歩いた気分だ。どのくらいの距離があったのかはわからないが、並び始めたのが昼の一時だったが、私たちが審査を終えたのが夕方五時だった。
その理由は、カーニバルだった。
行列のほとんどが、カーニバルの隊員+その家族。信じられない人数だった。大太鼓や楽器ケースを担ぐ大きな団体が、大きな列を成していたが、そこに大きな荷物を前後に抱えるバックパッカーは小娘たちしかいなかった。この時期特有の行列だったのだろう。全く私たちもついていない。
そんなことを思いながら、デサグアデロを発った小娘たちに更なる悲劇が襲う。
首都行きのバスとは思えない適当さ
デサグアデロからラパスまではバスで3時間かかるという事前調査だった。しかし、先程も申したように、小娘たちは運悪くカーニバルシーズンに当たってしまった。もう全て普段通りには行かない。
道を歩き、ラパスと叫んでいる人のところへ向かう。バスの運転手たちが、荷物を大量に屋根に乗せている。日本の高速バスを想像してほしい。屋根にはベッドのマットレスやら、たくさんのダンボールたちが紐で括り付けられている。その高さ、バスの高さの倍ほどあるのではないか、強風にでも煽られたら間違いなく横転する。しかし、ここはラテンアメリカ、誰がそんなことを気にしようか。
ラパスまで行くというから、怖いがそのバスに乗ることにした。バス代一人10ボリビアーノ(約216円)だった。すると、中は大量の荷物を抱え込んだ地元の人でいっぱいだった。なんとか先に座り、5分もしないうちにバスが出発。
しかし、バスの屋根は重い荷物を支える仕様にできている訳ではないため、走り始めるとその振動でベコベコと音を立て、今にも屋根が落ちて来そうだ。
怖いなぁと思いながら、相方のジョブズに話しかけようとすると、顔が真っ青ではないか。どうやら、急激な腹痛と下痢が彼を襲っている。
途中下車しようと声をかけるも、あと少しでセキュリティチェックポイントがあるはずだから、そこでトイレに行くという。
無事セキュリティチェックポイントに到着。彼はトイレへと駆けて行った。セキュリティチェックポイントに到着したのが夕方五時半。そこから、ミリタリーの方々が、あの屋根に乗ったマットレスやらダンボールやらを一つ一つチェックしていく。これは当分時間がかかるなという予想を裏切らず、そこでなんと一時間も停車。
「私たちは今日ラパスに辿り着くのだろうか。」
小娘の嫌な予感に間違いはなかった。
ジョブズも無事に戻ってきた。どうやら腹痛と下痢の症状は治ったらしい。しかし、どこか顔色が晴れない。
「人生で使ったトイレの中で、過去最悪な衛生環境だった。僕の脳裏からあのトイレの惨状が離れず、恐ろしくて仕方ない。」
公共のトイレは、もう入れないかもと嘆いていた。水道も水が通っておらず、手持ちの飲み水と紙石鹸で入念に手を洗っていた。
全ての荷物の確認が終わり、バスがまた走り出す。もう既に空はオレンジ色から美しい深い青色へと変わり、一日の終わりを告げ始めている。
新しい国へ夜に到着することは、今まで避けて来た分、大きな不安が襲う。が、もうできることはない。気づけば周りの乗客の噛むコカの葉の匂いを嗅ぎながら、眠りについていた。
自分の心臓の激しい鼓動で目が覚める。なんでこんなにも早く脈打っているのか。携帯を開き、コンパスを見ると、標高4300m地点にいた。地図を開くも、まだラパスまでは三分の二までしか進んでいない。あたりはもう闇に包まれていた。
そこから眠ることはできず、外を眺める。
街頭のない暗闇を、ゆっくり進むバス。ここは崖なのか、遠く一面に街の光がこれでもかと広がる。ラパスだ。
そこからその街めがけてバスが進むのを静かに見ていた。地図を開くと、空港の近くを走っているらしい。するとそこでバスが停車。運転手はエンジンを切ってしまった。ここはラパスではなく、エルアルトと表示されている。
エルアルトは標高4100m地点の高台街、ラパスは標高3900mと、エルアルトから下った街だ。エルアルトからはラパスの街を一望できるのだが、今はそんなことはどうでも良い。
このバスはラパス行きだと聞いている。まだラパスに着いていないのに、どうしてエンジンを切ってしまったのだ。
すると運転手が、
「ここが終点だ。降りてくれ。」
いやいや、まだラパスじゃないじゃないか。お前がラパス行きだと言うから乗ったのに。とグダグダ嫌味っぽく言うと、
「いや、ここはラパスだ。」
と、埼玉県民が東京出身というのと同じような屁理屈を言う運転手。
仕方なく、バスを降りることにしたが、窓から見えるエルアルトの街は、危険な香りがした。
危険地域を彷徨う旅人
酔っ払いが電柱にハグして突っ立っている。野犬がゴミを漁り、そこら中で遠吠えが聞こえる。雨も降っていないのに、そこら中がなぜか濡れている。あまりのキツい匂いに息苦しい。バスから出ると、そこら中でピス(小便)のキツい香りが漂う。
いったいここはなんなんだ。
こんなところを大きなバックパック背負って歩きたくない。メインロードに出ると、片側車線が通行止めになり、交差点では我れ先にと譲らない車で、完全に交通網が止まっている。通行止めの先には、巨大ステージが置かれ、コンサートが行われている。そんな無秩序な交差点を車の攻撃的なクラクションに怯えながら渡り、タクシーを探す小娘たち。
すると酔い潰れてくたばっているおじちゃんたちが、歩道にわんさかいる。また、ベロベロのお兄ちゃんの横でヤンキー座りをかましていると思った若いお姉さんは、歩道で放尿していた。だからこんなにも街自体が臭うのか。
いったいここはなんなんだ。
このエルアルトという街は治安が悪いことで有名で、観光客の夜の外出は禁物地域だった。
信号待ちのタクシーを見つけ、ホステルまでお願いをする。値切り交渉をして、半額まで負けてもらった、とても優しい運転手だったのが今日の唯一の救いだった。ありがとう、タクシーの運転手さん。
幹線道路はひどい渋滞で、年末年始やお盆の帰省ラッシュなのかと思うほどの交通量。現在時刻夜の十時だ。やっとのことで辿り着いたホステルでは、若者たちが酒を飲み、ビリヤードに熱中している。よく見る光景に、肩の力が抜ける自分がいた。
夜ご飯を食べていないが、もう外には出たくないため、ホステルでバーガーとケサディーヤをつまみにビールを流し込んだ。久しぶりのウィートビールがヤケに身体に沁みた。これからのこの街での滞在はどうなるのだろうか。
不安と期待を胸に眠りについたのだった。
※事実上の行政首都はラパス、憲法上の首都はスクレであることを最後に記す。
写真は日中のエルアルトからの眺め📷
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