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渋谷と池袋でぶらりパブリックアート


 日記のように出来事を書き連ねていますので、タイトルにはない、美容医療のことも書いています。ご興味ない方はそちらは読み飛ばしてくださいますように。

Ⅰ クリニック巡り


 1日、新橋、池袋、渋谷とクリニック巡りをした。新橋のクリニックは、保険適用でビタミン剤がもらえるので、いつもにぎわっている。この日は受付時間終了直前に行ったせいか、いつもに増して大賑わいだった。それでもあっという間に会計が終わり、プラセンタ2本とビタミンB12の注射(1250円なり)をして、ビタミン剤をもらう。
 
 お次は、池袋の美容クリニックへ。クーポンサイトでポテンツァという施術のチケットを買ったので、そのチケット消化だ。ポテンツァは、皮膚に小さな穴を開けることで肌の再生を促すという施術。
 カウンセリングで、肌の悩みで特に何を改善したいかと聞かれる。あげればきりがないけれど、今回は毛穴にフォーカスしてもらうことにする。薬剤を一緒に入れると効果がよりアップするという。年齢がいっているので、一度で効果がわかるようにするためには薬剤は必須というセールストークに釣られ、マックームという薬剤を購入する。鎮静剤と合わせて22000円なり。絶賛金欠中の私には手痛い出費だった。チケットは13000円ちょっとで買えたけれど、その倍以上やんけ。回数券も購入できると言われたが、この値段のものを何回も、は私には無理なので、スルー。
 麻酔クリームを塗ったけれど、施術はそれなりに痛みがある。けれど、似た施術であるダーマペンに比べてダウンタイムが短く、翌日には赤みも取れた。一度で毛穴が小さくなるということはないけれど、薬剤の効果か、顔色が明るくなった感じはする。

Ⅱ 池袋パルコでイラストを
 

 クリニックの帰り、パルコを通りかかると、たくさんのイラストを見かける。私が気に入ったのは、ヒナゲシやガーベラの花をバックに二人の女性が描かれている作品。背景に花を大きく描いているために、二人が妖精みたいにも見える。大島悠(はるか)さんというイラストレーターの手によるものらしい。 

大島悠

 ミュシャの影響を強く受けているように感じた。

ミュシャ公式サイトより

 10月31日まで、池袋PARCOで「Emotion2024」という催しが行われていて、そちらに出品されているイラストをたまたま目にしたよう。 
 Emotion2024は、計216名のクリエイターたちが「Emotional」と池袋PARCO55周年テーマ「LINK」から着想を得て描き下ろしたアートで池袋PARCO館内をジャックする、というものだそう。

 EmotionalとLINKが大島さんのイラストでは、どう表現されているのかと考えてみる。背景の花と右の女性が手にする花、左の女性のワンピースのリボンと右の女性の花束のリボンがLINKしている。二人はリボンとリボンで響き合っているから、あうんの呼吸なのではないか。心が通じあっているという意味でEmotionalなのではと思うのだけれど、どうかしら。

Ⅲ 渋谷西武で富士山を

 池袋から移動して、渋谷の美容クリニックへ。こちらはチェーンのクリニックで、開院したばかりの院が特別価格で施術をしていた。私がしたのは、鼻の下にボトックスを打つことで、鼻の下の人中を短縮するという施術。鼻の下を長くした覚えはないけれど(笑)、若干でも顔の印象が変わるならと試してみることに。楽天ポイントを使えて、3000円オフのチケットも持っていたので、支払ったのは1000円ちょっとで、ただみたいなものだった。数日間は唇がちょっと腫れたような気がした。効果はいまいちよくわからず。

 クリニックの帰りに、西武デパートの前を通りかかると、窓ガラスに富士山が。繁華街の富士山ですな。轟友宏さんという方の作品で、12月31日まで見られるよう。こちらは、片岡球子の絵のもじりであろう。

轟友宏 「赤富士」
片岡球子 「めでたき赤富士」(2003)

Ⅳ 渋谷駅で「明日の神話」を

 クリニック巡りが目的だったけれど、アートづいたので、最後は駅の岡本太郎「明日の神話」(1969)で締めくくり。こちらは何度も見ているけれど、横長の画面を左から右へと見ていこう。


 「明日の神話」は長らく行方がわからなくなっていたが、2003年秋、メキシコシティ郊外で発見された。修復後、2008年3月に渋谷に恒久設置することが決定、11月18日より渋谷マークシティー連絡通路内にて公開が始まった。

 岡本太郎記念館のホームぺージに掲載されている、岡本敏子の「『明日の神話』によせて」には、こうある。

『明日の神話』は原爆の炸裂する瞬間を描いた、岡本太郎の最大、最高の傑作である。
猛烈な破壊力を持つ凶悪なきのこ雲はむくむくと増殖し、その下で骸骨が燃えあがっている。悲惨な残酷な瞬間。
逃げまどう無辜の生きものたち。虫も魚も動物も、わらわらと画面の外に逃げ出そうと、健気に力をふりしぼっている。第五福竜丸は何も知らずに、死の灰を浴びながら鮪を引っ張っている。
中心に燃えあがる骸骨の背後にも、シルエットになって、亡者の行列が小さな炎を噴きあげながら無限に続いてゆく。その上に更に襲いかかる凶々しい黒い雲。
悲劇の世界だ。
だがこれはいわゆる原爆図のように、ただ惨めな、酷い、被害者の絵ではない。
燃えあがる骸骨の、何という美しさ、高貴さ。巨大画面を圧してひろがる炎の舞の、優美とさえ言いたくなる鮮烈な赤。
にょきにょき増殖してゆくきのこ雲も、末端の方は生まれたばかりの赤ちゃんだから、無邪気な顔で、びっくりしたように下界を見つめている。
外に向かって激しく放射する構図。強烈な原色。画面全体が哄笑している。悲劇に負けていない。
あの凶々しい破壊の力が炸裂した瞬間に、それと拮抗する激しさ、力強さで人間の誇り、純粋な憤りが燃えあがる。
タイトル『明日の神話』は象徴的だ。その瞬間は、死と、破壊と、不毛だけをまき散らしたのではない。残酷な悲劇を内包しながら、その瞬間、誇らかに『明日の神話』が生まれるのだ。
岡本太郎はそう信じた。
この絵は彼の痛切なメッセージだ。絵でなければ表現できない、伝えられない、純一・透明な叫びだ。
この純粋さ。リリカルと言いたいほど切々と激しい。
二十一世紀は行方の見えない不安定な時代だ。テロ、報復、果てしない殺戮、核拡散、ウィルスは不気味にひろがり、地球は回復不能な破滅の道につき進んでいるように見える。こういう時代に、この絵が発するメッセージは強く、鋭い。
負けないぞ。絵全体が高らかに哄笑し、誇り高く炸裂している。

 以上のような敏子のメッセージがあることで、太郎の意図をよりよく理解することができる。制作から55年経った今も、太郎の絵は、あなたたちの手で作った明日はどんなものか、この絵が描いたような悲劇を繰り返しているのではないかと、われわれに語りかけて来る。「明日の神話」は、今を生きるわれわれに刺さる絵ということができよう。 

 これにて、クリニック巡りのついでのパブリックアート巡りは終了。


 最後までお読みくださり、ありがとうございます。みなさんお気に入りのパブリックアートは何ですか?

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