どこでもドアがあったなら
ひと月以上、山に行っていない。相方が土曜日に仕事だったり、少し遠出しようとしたら、定宿がいっぱいでだめだったり。近場の低山は、蒸し暑くなって来たため、行く気が起きず。
山行記録を投稿するサイトをのぞくと、みなさん、働きながらも週末に精力的に遠出しておられる。雪解けしたばかりで、一気に高山植物が咲き出した、そんな山々で、お花の写真をたくさん撮影して、掲載されている。コマクサ、サンカヨウ、ハクサンイチゲ…。フレッシュなお花の数々を見るたびに、いいなあ、行きたいなあ、と思う。
山行記録をあげているみなさんの交通手段は何かしら、と思ってチェックすると、たいていは車だ。私は車を運転しないし、相方も車を処分してしまったので、山に行くとなると、公共交通機関を使うことになる。すると、時間にかなり制約が出てくる。駅から登山口までのバスがなければ、タクシーになるので、費用もばかにならない。
去年はそれでも、思いきって、6月に一人で新幹線に乗って、新潟県と群馬県の間に位置する平標山(たいらっぴょうやま)と、仙ノ倉山に日帰りで登りに行った。天気がよかったので、バス停は長蛇の列で、乗るはずだったバスは満員で乗れなかった。増発もしないという。積み残されたお客さんと一緒に、タクシーに乗って登山口に向かい、料金はシェアした。帰りは帰りで、1時間以上後のバスの時間までぼんやり待っていたら、タクシーに一緒に乗りませんか、と女性二人に声をかけられ、一人で登山に来ていた女性と一緒に便乗した。
こんな予期しないできごとはあったけれど、高山でしか見られないハクサンイチゲや、ハクサンコザクラに心が躍った。何年も前から、山行記録を参考に、お花が一気に咲くこの時期に行きたいと狙っていたので、念願が叶って、嬉しかった。
しかし、今年は腰が重くなったのか、一人でも行くという意欲がなくなったのか、遠出していない。昨年と違い、山もいいけれど、毎日、少しずつでもいいから書きたい、という気持ちがあること、これも山から遠ざかっていることと無関係ではないだろう。
この時期でも快適に登れる山に行くためには、かなりの時間を往復に費やす必要があるし、登山する時間に加えて体力も必要になる。書く才能も体力もある人なら、それこそ深田久弥や串田孫一のように、登り、書くのだろうけれど、残念ながら、私はそうではない。
山に行きたいけれど、読んだり書いたりすることも諦めたくない私。『ドラえもん』に出てくる、どこでもドアがあればいいのに、と痛切に思う。ドアを開けたら、遠くの山並みが見渡せる、見晴らしのよい場所で、足元にはかわいらしい高山植物が風に揺れながら微笑んでいる。そんな天空の楽園を1時間ほど散策して、またドアを開けると、自宅に戻って来ている。こんなふうだっら、リフレッシュしながらも体力を温存できて、歩いた後も書いたり読んだりできるだろう。
働いた後に残る限られた時間をどう使うか、は私の永遠の課題といってもよい。山に行ってリフレッシュして、映画や本について感じたことを書いて、家の中も整理整頓する、というのが、私の理想だ。しかし、なかなかバランスよくやる、ということができない。書くことに夢中になると、片付けは疎かになり、物が散らかったテーブルで書いていたりする。今だってそうだ。この文章を書き終わったら、片付けをしようと思う。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
みなさんは、どこでもドアがあったら、何をしたいですか?