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人生の午後の過ごし方


 Ⅰ 人生の正午

 最近になって、ユングが40歳を「人生の正午」と呼んでいると知った。人生を太陽の動きになぞらえ、人生を4つの時期にわけて考えている。 少年期、成人前期を過ぎ、正午を迎え、中年期、老人期で日が沈むというのである。

 人生の午後で大切なことは「自分の内面を見つめること」であるが、午前と同じ生き方をしていくわけにはいかない。今まではとは違う生き方をしなくては、でもどうすればいいんだろう、と多くの人が激しい混乱を経験するという。これが、アメリカの心理学者レビンソンのいう「中年の危機」である。

 Ⅱ 自身を振り返る

 自身を振り返ってみると、ちょうど不惑を迎える年に、精神的な転機が訪れた。この年、私がものを書き、それが活字になることを一番応援してくれていた家族が亡くなった。
 私は学生時代に文学を専攻していた。やる気も能力も不足していて、研究職に就くことは叶わなかったけれど、家族からは、学んだ証として、文学研究の論文を書いて発表することを勧められていた。しかし私は、論文を書いたからといって、お金がもらえる訳でなし、と思い、書くことをサボり、休日は映画やお芝居を観たり、山歩きをしたりと、遊びにうつつを抜かしていた。

 家族が亡くなったのと同じ年、又吉直樹の『火花』が芥川賞を受賞し、ベストセラーになった。話題になっているから読んでみようという軽い気持ちで、勤務先の図書館で借りて来て読んだ。

 一読して、主人公の先輩芸人である神谷は、名前の通り、キリスト教における神のごとき存在であると思った。学生時代、太宰治の小説とキリスト教の関係を考えてみたい、と思ったが、中途半端に終わっていた。母親がクリスチャンで、太宰ファンを公言する又吉の小説を読むことで、かつての志のようなものが蘇って来た。 
 『火花』について、論文にまとめ、学生時代の指導教官から、活躍中の作家について書いた論文でも受けつけてくれる学術雑誌を教えてもらい、そちらに投稿した。しかし、私の論文の説得力不足で、不採用に終わった。結果は出なかったけれど、『火花』との出会いをきっかけに、また書こうという気持ちが生まれて来た。 

 『火花』に触発されたのと同じ頃、小さな集まりで、自分の考えたことを発表する機会をいただいた。何について話すか、さんざん考えた末、大好きなルイ・マルの映画『さよなら子供たち』(1987)について話すことにした。ナチス占領下のフランスで、修道院付属の寄宿舎学校の校長は、ユダヤ人少年を匿うが、ナチに連行され、命を落とす。自らの命を犠牲にして、ユダヤ人少年に無償の愛を示す校長は、イエス的な存在である、ということなどを話したら、思いのほか反応がよかった。旧約聖書研究が専門の知人は、すぐにTSUTAYAにビデオを借りに走ったと教えて下さった。その後も、年に3回、その集まりで話すことが、文学や映画に触れて考えたことをまとめるよい機会になっている。

 書くことを一番応援してくれた人間がこの世から去ってから、なぜか私は、ものを考え、書くことを再開した。今までとは違う生き方をしなくては、でもどうすればいいんだろう、と混乱するのが「中年の危機」だという。けれど、それまで目標など持たずに適当に生きて来たせいか、私の場合は、中年になることで、青年期の自堕落とでもいうべきものから、ほんの少しだけれど、脱したように思う。

 「中年の危機」という言葉を生み出したレビンソンは、40歳頃になすべき課題として下記のことを挙げている。
・若い時代を振り返って再評価すること
・それまでの人生で不満が残る部分を修正すること
・新しい可能性を試してみること
・人生の午後に入るにあたって、生じてきた問題を見つけること

 私は、若い頃を振り返って、これまでのように書かないまま生きて死ぬのは嫌だと思い、少しずつでも、映画や文学について書いて行きたいと思うようになった。人生の午後に入るにあたっての問題は、だらしないことや、やるべきことを後回しにしてしまうことなど、挙げればきりがない。けれど、かつての私は、今の自分のような気持ちになるなんて、想像していなかった。想像していなかった未来が、今ここにある。

 未来は、今この瞬間に何をするか、によって少しずつ形作られてゆく。人生の午後を実りあるものにするかどうか、も1日1日をどう過ごすかによって決まる。
 全ての人間を最後に待ち受けているのは死である。死の瞬間に、自分の持てる能力を最大限に生かし、ベストを尽くした、と胸を張れるよう、これからの1日1日を大切に過ごして行きたい、そう思っている。


 最後までお読みいただき、ありがとうございました。みなさんの人生の午後が実り多いものでありますように。



 


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