誰の身体?(AI作成奇妙な話)
ナオがタクに最初の違和感を覚えたのは、職場の飲み会の席だった。普段は地味でおとなしいタクが、急にガラッと雰囲気を変え、みんなの前でエネルギッシュなトークを展開し始めたのだ。あまりに話し方まで違うので、聞いてみた。
「あれ、酔ってキャラ変したの?」
彼は冗談めかして返してきた。
「クラウドから別の人格を借りてきたんだよ」
その後、タクが真面目な顔で「実は本当にそうなんだ」と打ち明けたのは、数日後のランチタイムだった。合成意識クラウドとは、人間の脳内データをアップロードし、必要なときにダウンロードして自分の身体で動かせる技術らしい。法律上はまだグレーゾーンだが、一部の企業がビジネス向けに実験的に導入しているという。
「身体は一つなんだけど、時々ほかの人格を呼び出して使ってるんだ。たとえば今の俺、実は“アイリ”っていう人格がほとんど操作してるかもよ?」
スプーンを手にしたタクは、軽い調子でそう言う。ナオは呆気に取られたが、目の前のタクが目を細めて微笑む様子はどことなく女性っぽい気配を帯びているように感じた。“アイリ”はタクがクラウド上で購入した人格データで、リーダーシップや会話スキルが優秀らしい。タク自身は元々人と接するのが苦手だったが、アイリを導入してからは仕事の成績が上がり、社内評価も急上昇中だという。
しかし、気になるのは「それで自分自身は大丈夫なのか?」という点だ。タクは曖昧に笑い、「最初は戸惑ったよ。だけど最近は慣れた。アイリと会話もできるし、意外と悪くない」と言う。クラウド上で人格を共有するとは、現代のテクノロジーもここまで来たかとナオは驚く一方、
「自分が自分でなくなるんじゃ?」
そんな不安を拭えない。
ナオ自身も、会社でのプレゼンが苦手で、何度か上司に叱責された経験がある。こんなとき、アイリのようなスキルを持つ人格がいれば……とつい想像してしまう。そしてある日、思わずタクに頼み込んだ。
「私にもアイリを貸してくれない? 大きなプレゼンが迫ってて、どうしても成功させたいの」
タクは少し困った顔をしたが、「アイリ自身が許可すれば可能だよ」と返してきた。合成意識クラウドでは、人格データにもある程度の自己意志が存在するという。つまり、アイリ自身が「他の身体に行きたい」と思わなければ成立しないのだ。
一週間後、タクから「ОKだって。今度、ナオの身体に短時間ダウンロードしていいってさ」という返事ももらった。ナオはドキドキする。こんなSFめいた体験を自分がやるなんて思ってもみなかったが、プレゼンを成功させるために藁にもすがる思いだった。
プレゼン前日の夜、ナオの家にタクがやってくる。特殊なヘッドギアとタブレットを取り出し、「これでクラウドにアクセスして、アイリを転送する。短時間だけど気をつけてね」と言う。その装置を頭に装着すると、一瞬だけ光が走り、次の瞬間ナオの意識は遠のいていく。ぼんやりしている間に、タクの声がかすかに聞こえる。
「大丈夫か? 具合は?」
目を開けると、身体の感覚は自分なのに、自分の意志が“奥”に押しやられているような不思議な感覚だった。まるで誰か別人が自分の身体を操作している。口を開くと、出てきた声はナオの声のままだが、調子が全然違う。
「ふーん、これがあんたの部屋? 意外と小綺麗にしてるじゃない」
そう言ったのは明らかに“アイリ”という人格だった。タクが
「おいおい、初対面なんだからもうちょっと丁寧に」と笑う。
アイリは鼻で笑い、「気にしないでよ。私、こういう性格だから」と言いながら鏡を見て髪をかき上げる。その仕草は自信に満ちていて、普段のナオとは全く違う。
ナオは自分の内側で、「ああ、本当にアイリに身体を乗っ取られてるんだ……」と実感しつつも、妙な安心感を覚えていた。なんだか頼りになる雰囲気があるのだ。アイリはタクと軽く言葉を交わした後、「明日のプレゼンは任せといて。私がバッチリやってあげる」と宣言し、ナオの身体のまま資料に目を通し始める。見る見るうちに要点をまとめ、論理的な構成に再編集していく。タクは感心しきりで、「やっぱりアイリは有能だな」と目を丸くする。
そして迎えたプレゼン当日。アイリが顕在化したまま出社し、会議室で堂々とプレゼンテーションを行う。切れ味のある言葉と、熱のこもった語り口。上司や取引先からの鋭い質問にも即座に対応し、完璧なパフォーマンスを見せる。その姿はいつものナオとはまるで別人で、同僚たちは驚きを隠せない。結果、プレゼンは大成功を収め、大きな契約が成立した。
大仕事を終え、ナオの身体は拍手喝采を受ける。だがその瞬間、ナオ自身はどこか遠いところで見ているだけのような感覚にとらわれる。「私の身体が褒められてるのに、私じゃない……」という違和感が沸々と湧き上がり、息苦しくなる。アイリはニヤリと笑って「役に立ったでしょ?」と胸を張るが、ナオははっきりと答えられない。
その日の夜、タクがまた装置を持ってナオの家を訪ね、「そろそろアイリをクラウドに戻そう」と提案する。ところが装置をセットしてログアウトを試みようとしても、何かエラーが出てうまくいかない。タクが何度か操作しても、「ダウンロード中の人格がホストから離脱できない」というメッセージが画面に出るだけだ。
「どういうこと? まさか、アイリが拒否してるの?」
ナオは焦る。身体のコントロールが徐々に戻りつつあるが、アイリの存在感が完全には消えていない。頭の中でアイリの声が聞こえ、「もう少しあんたの身体にいたっていいじゃない。気に入ったんだもん。あんた一人じゃこの先もやっていけないでしょう?」と囁く。ゾッとする言葉だ。ナオは必死に自分の意志を取り戻そうとするが、アイリの思考が渦巻き、思うように身体を動かせない。
タクも「やっぱりリスクがあったのか……」と顔をしかめる。クラウド会社に連絡を試みようとするが、サポートセンターは混雑しているらしく繋がらない。時間だけが過ぎていき、ナオは身体の主導権をめぐる葛藤に苦しむ。自分の中に別人が棲みついているような感覚は、想像以上に恐ろしい。
「……これからどうなるんだろう。私、ちゃんと自分のままでいられるの?」
ナオの声は震え、目には涙が滲む。タクは肩を抱き、「大丈夫、なんとかする」と励ますものの、方法はまだ見つからない。合成意識クラウドは便利だが、このようなトラブルが起きた場合の対処は未整備なのだという。タク自身がかつて感じた違和感も、今まさにナオがより強烈な形で味わっている。
部屋の中、沈黙が広がる。ナオの中からアイリの笑い声が微かに聞こえ、「ふふ、早く私を追い出したいの? それとも、このまま二人三脚で行く?」と挑発してくる。ナオはもうパニック寸前で、叫びたい衝動をこらえ、かろうじて正気を保つ。
「人間って、一体何なのよ。意識を簡単に入れ替えられるなら、個人の境界なんてなくなっちゃうんじゃない……」
そう呟きながら、ナオは頭を抱える。タクも困惑の表情を浮かべる。これ以上のトラブルは避けたいが、具体的な解決策が見つからない。バージョンアップされたシステムや専門家の力が必要になるかもしれないが、それには時間がかかるだろう。
その後、結局一晩中ログアウト作業を試みるが進展はない。夜明け頃になり、ナオは疲れ果てて床に座り込む。アイリの声は少し静まったように感じるが、完全に消え去ってはいない。タクも疲労困憊で、「ごめん……俺がもっとちゃんとリスクを説明しておくべきだった」と呟く。
ナオは半ば諦めのようにため息をつく。
「本当に……私、これからどうなるの……?」
外はもう朝日が差し込み、会社へ行く時間が迫っている。自分の身体なのに、自分だけのものではなくなってしまった。そんな歪な感覚がナオの心を蝕む。パニックで頭が真っ白になりそうだが、時間は待ってくれない。行かなければならない。
鏡に映る自分の顔は、どこか別人の気配を宿しているように思える。出社しても、誰がしゃべっているのか分からなくなる瞬間があるかもしれない。“アイリ”がまた勝手に振る舞うかもしれないのだ。
自分とは何か? 人格とは一体どこに存在する? そんな根源的な問いが頭をぐるぐると回り続け、答えの見えないまま、ナオは重い足取りでドアを開ける。
新しい一日が始まる。だがそこに待ち受けているのは、果たしてナオなのか、それともアイリなのか。あるいはその両方か。いずれにせよ、この世界はもう「一人の身体に一つの意識だけが宿る」とは限らない時代へ踏み込んでしまったのだ。
こちらに収録されている話の1つです。是非他の話も読んでみてください。
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