見出し画像

「学びとは何かー〈探究人〉になるために」を読んで

#59

先週詠んだ本は、「学びとは何かー〈探究人〉になるために」。
著者は慶応義塾大学の今井むつみ教授。

難しかった。けれど、思わず膝を打った。
時間があるときに再読したいと思う本だった。



エピステモロジー

知識観。
知識についての認識。

「知識=事実」のエピステモロジー

事実が知識であり、それをたくさん覚えることが大切という知識観
覚えたことをテストで思い出して書き出すことが大事だという知識観

評価・構築主義のエピステモロジー

自分で仮説を考え、実験をデザインし、分析し、吟味し、論を構築し、それを評価すること(体で覚えること)を繰り返し経験する中で知識を得ることが大切だという知識観
思考力を養うための知識観

探究エピステモロジー

知識は自分で発見するもの。
知識は使うことで身体の一部にするもの。
知識はシステムの一部であり、そのシステムとともにどんどん変化していくもの。

「頭で知っているだけの知識」は「使えない知識」、「体で覚えた知識」は「使える知識」と深く関わっていることがわかる。

本書より

「エピステモロジー」という言葉をつい最近まで知らなかった私がここまで「エピステモロジー」という言葉を使うことになろうとは。
「え」と入力すると、予想変換の一番上に「エピステモロジー」が出てくるようになった。

スキルの自動化

熟達者は、いちいち考えなくても必要な行動が必要な時に自然とできる。これを認知科学では「スキルの自動化」という。必要なことを意識を向けずにバックグラウンドでできるようになることである。

本書より

スキルの自動化
=認知科学で、いちいち考えなくても必要な行動が必要な時に自然とできること。

ゲームの「パッシブスキル」のようだ。
考えるのには、脳の容量を使う。
いちいち考えなくても自動的に自然に必要な行動が見えてくる。
人は「センス」とか「才能」とか「ひらめき」とか言うけれど、それらは繰り返しの練習の中で育まれたもの、身に付けたものだという。

本当に必要な集中力というのは、【中略】(「知識=事実」のエピステモロジーを捨て、)自分が最も大事だと思うことを長期にわたってやり抜く訓練を、小さいころから習慣づけて継続していくことしかないのではないだろうか。

本書より

粘り強さ ーGRIT(やり抜く力)ー

以前、「GRIT-やり抜く力‐」という本を読んだ。

この本にも共通していることがある。
長く続けられる「根気」と、失敗してもあきらめない「打たれ強さ」は子どもたちの今後の人生に大きく影響していく。
根気と打たれ強さとあるが、スポ根をイメージするのではなく、自分が好きで興味があり、没頭できるようなもの、環境をいかに用意できるかが、大切なのだと思う。
一方的な詰め込み教育、または成果に報酬を与えることは、子どもたちのやる気を削ぎ、チャレンジ精神を下げてしまうので、逆効果となることも忘れないでおきたい。

さらに、本書(学びとは何か)には乳幼児期の母語習得の話が出てくる。
これは偶然、先日読んだ「脳を活かす英会話」とつながり、
言語習得には
OUTPUTして改善していくこと、
単語の1対1対応ではないということ(「have=持つ」だけではない)など
自分の中で腑に落ちることがたくさんあった。

我が子の探究エピステモロジー

そして土日祝日。
目の前の我が子を観察してみる。
「ごちそうさま」が言えず、
「あち・まち・まちた」に思わずほっこり。
本人はいたって真面目に真剣。それがまた可愛い。
言い間違えは、良い間違え。
恐れずにOUTPUTしている姿、その愛くるしさは場を和ませてくれるだけではなく、探究エピステモロジーの大切さを教えてくれる。
私たちは教わらなくても言語を話せるようになってきた。
知識は教わるものではなく、もっている知識をどんどん使い、新たな知識を見付け、自ら能動的に獲得していくものだ。
子育てを通して教わることは多い。

私たち人間は、楽な方に進みがちです。
変化することは、いつだって難しいもの。
だから、日々の生き方、考え方から変えていけたらと思っています。
ほんの3~5%の小さな意識の変化。それが、大きな違いを生むのです。

本書より「エディ・ジョーンズ(二〇一六年二月三日付朝日新聞)」

学ぶとは何か。
親や教育者、子どもに関わる全ての人が「探究者」となり、子どもの探究心を支えていきたいと、改めて思う週末だった。
最近、文が長い。
もっとまとめられるようにならないとな。

いいなと思ったら応援しよう!