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第十代崇神天皇の母 八代九代天皇(欠史?)后を祀る伊加賀志神社
奈良に無ければ徳島おいで
古事記や日本書紀。万葉集に書かれた舞台。
高天原はどこであったか。
出雲はどこなのか。
初代神武天皇から10代崇神天皇までの間の天皇。
実在しなかったんじゃないの?
いろいろな疑問がある日本古代史。
それは探す場所を間違えているから。
徳島を探せば普通に痕跡は残っています。
式内社 伊加賀志志神社
今日は欠史と言われる天皇の時代の大皇后。
伊迦賀色許売命
(イカガシコメノミコト)を祀る、
伊加賀志神社についてご紹介させていただきます。
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イカガシコメノミコトは大后だった
イカガシコメノミコトは第八代孝元天皇の后。
第九代開化天皇は、
孝元天皇后であったイカガシコメを皇后にします。
イカガシコメは第十代天皇となった崇神天皇を生みます。
まとめると、八代、九代天皇のお妃さまで、
十代天皇崇神天皇の母ということになります。
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この時代の天皇には
複数人のお妃さまがいたようです。
とはいえ、先代天皇の后を皇后とするなんて、
イカガシコメはとても魅力的な女性だったのでしょうね。
他、イカガシコメは、姓氏録
(古代皇族豪族戸籍簿)に、
神別として奉られています。
崇神天皇はじめ、十数代の天皇の祖。
多くの古代豪族の祖先にあたる、
古代有数の血脈であったそうです。
私たちがその名を知っている蘇我氏もまた、
イカガシコメの末流にあたります。
(古代史入門 藤井榮 引用)
その後の日本史に大きな影響を与えた子孫たちの祖。まさに大后様でありました。
伊加賀志神社の今
イカガシコメを祀る伊加賀志神社。
こちらも延喜式神名帳に名の刻まれた式内社。
全国に三千座以上存在する式内社の中でも、
イカガシコメを祀る神社は伊加賀志神社ただひとつ。
周辺は田んぼや畑があるのどかな土地。
道は狭いですが、
境内のある高さまで車で行けます。
階段を上りたい方は、
お隣のお寺さんの駐車場しかないのでご注意を。
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境内はわりと広め。
昔は子どもが多かったのか、
遊具などの遊び道具があります。
今はここで遊ぶ子どもたちは居ないようで、
遊具は錆びついてしまってます。
賑やかな子どもたちの声。
聞けなくなったイカガシコメノミコト。
どこか寂しがっているような境内の気でした。
もう一柱のご祀神
伊加賀志神社もう一柱の祀神。
伊加色雄命(イカガシオノミコト)
が祀られています。
イカガシコメの弟神です。
崇神天皇の御代、疫病が猛威をふるい、
多くの民が亡くなりました。
崇神天皇は天津神、国津神へ謝罪しましたが、
疫病は収まらず。
ある夜、夢枕に大物主神が現れ、
私の子のオオタタネコに祀らせよと告げられます。
オオタタネコが大物主を祀り、
イカガシオが物部の八十平瓮
(古代の小皿)を作って祀り、
ようやく疫病が収まりました。
とするとイカガシオは、
神官だったのですかね~。
境内少し離れた場所に、
崇神天皇を祀る王子神社があります。
こちらも参拝する人が少ないせいか
寂しい雰囲気でした。
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延喜式神名帳は信用できる記録
いろいろな記録が改ざんされている中、
延喜式神名帳はかなり信憑性が高い。
どこに、どんな名前の神社があったか。
祀神はどの神様か。
神社の格式。
等が記録されているからです。
古事記に書かれていること。
古事記に登場する神様(昔は人間)。
その神々が祀られる神社と古事記のストーリー。
場所的にもかなり信憑性が高いのが徳島。
理由は、古事記に登場するが、
他の地域で祀られていた記録がない神様を祀る神社が多いから。
徳島にしか祀られていない。
もちろん、後世、
元社から全国に分霊されて行ったので、
延喜式神名帳が出来た時、
記録されていない神様が、
現代では全国に多く祀らています。
しかし、少なくとも延喜式が作られた時代。
その時は、阿波一国のみしかなかった。
そんな神様が多いのです。
まとめ
だからこそ、古事記の世界は、阿波で起こった実話を元に書かれたのだろうな~。
そんな風に思うのです。
と、同時に、
その事実を隠す必要が生じたのだろうとも思う。
一体誰が?なんの目的で?一度ならず何度も?
そこまでして隠し通さねばならなかった訳。
本当のところは永遠に謎なのでしょうね。
だからこそ知りたい。(笑)
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勝手に古事記の世界は、
阿波だと決めつけてしまってますが、
現時点で、私の中では、その確率が高いです。
皆様はいかがでしょうか。
どちらにせよ、
そんな貴重な神社が現実として残っている徳島。
それだけでも凄いことだと思いますよ。
是非、お参りに来てくださいね。
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