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イザナギとイザナミが幸せだったころに暮らした場所
トップ写真 イザナミの塚とされる高越山から吉野川流域を臨む
弥都波能売神社 波爾移麻比禰神社
前回、国生みの母とも呼べるイザナミ大神が葬られているだろう高越神社の奥の院を訪れました。
![](https://assets.st-note.com/img/1698567958514-1ZoIwBcCkP.jpg?width=1200)
今回は、イザナミが生んだミツハノメ(水の神)を祀る式内社。
ミツハノメ神社。
同じく、イザナミが生んだハニヤマヒメ(土の神)を祀る式内社。
ハニヤマビメ神社についてご紹介しますね。
国生み神生みの最後。
イザナミは火の神カグツチを生み、
陰部に大やけどをおって死んでしまいます。
命が途絶えるまで、大いに苦しみ、
嘔吐や尿などの排泄物を出されます。
![](https://assets.st-note.com/img/1698568021313-zJvNfiQXgd.png?width=1200)
その排泄物から生まれた神がミツハノメとハニヤマヒメ。
ミツハノメは水の神。ハニヤマビメは土の神。
両方ともに農耕神であると同時に、火消しの神としての意味があるようです。火の神カグツチを生んだ後、カグツチを鎮める役割を持たせたのでしょうか。
弥都波能売神社。(ミツハノメ)
波爾移麻比禰神社。(ハニヤマビメ)
このような漢字です。
伊邪那美神社の近くにある意味
実はこの二つの神社も式内社であり、
ミツハノメ、ハニヤマビメを祀る式内社としては、
全国にただ一社のみの神社なのです。
後に、阿波国から分霊された御霊が、阿波勢力の全国進出と共に、
日本各地で祀られるようになったと考えられます。
重要なのは、この2社が、
イザナミを冠する唯一の式内社である伊邪那美神社から、
数キロの圏内にあるということ。
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イザナギとイザナミが国生み神生みをした地。
イザナギとイザナミが暮らした土地。
それこそが現美馬市界隈であったことを証明するに近づける論拠。
他にも、国生みを連想させる名前が付く式内社。
天椅立神社が近くに現存することからも、その信憑性が増してくる。
皆様はどう思われるでしょう。
![](https://assets.st-note.com/img/1698568354614-9TJW0457hu.jpg?width=1200)
これまで多くの歴史改ざんが行われてきたとしても、
延喜式神名帳を改ざんすることは出来なかったのでしょう。
阿波国に残る式内社47座50社。
その多くが全国一社のみの祭神を擁する貴重な神社なのです。
もっと分かりやすく言うと、阿波にしかなかった。
そういうことです。
重要な神社なのに寂しい現実
と、偉そうに語ってしまいましたが、その貴重な式内社の現状。
それはそれは寂しいものです。
ミツハノメ神社があったであろうとされる比定地。
現、八大龍王神社とされています。
参拝させていただき、古の面影を探ろうとするも、何も見つけられず。
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![](https://assets.st-note.com/img/1698568590889-bbC3eUHwXa.jpg?width=1200)
ハニヤマビメ神社とされる比定地は二つあり、
その一つ、ハニヤマビメ神社へ参拝させていただきました。
こちらも、かつては広大であっただろう敷地は削られ、
ほんの小さな敷地にポツンと建っている。
これも歴史の変遷なのでしょうが、寂しいかぎりでした。
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![](https://assets.st-note.com/img/1698568637561-3P9dfky9qa.jpg?width=1200)
他、ハニヤマビメ神社の論社とされる建権現神社。
そちらへは参拝できていないので、また改めてご紹介しますね。
実は、建権現神社が本命かもしれないので。
アニミズムリゾート たつかみの宮
今日、ご紹介させていただいた神社を含め、
イザナギとイザナミが暮らしていたであろうエリア。
その中に、私が進めているアニミズムリゾート、たつかみの宮予定地はあります。昭和天皇が戦後全国行脚された折、ご案内をされた当時の町長さんの家。そんな歴史ある古民家を引き継がせていただき、洗練された建築の宿として再生するプロジェクト。素晴らしいプランが進行中。
こちらも、またタイミング見てご紹介させていただけたらと思います。
乞うご期待。
空海の功績は今も生かされ続けている
多くの方が四国に持たれるイメージ。
四国八十八か所のお遍路さんだと思います。
しかし、それは当時の朝廷の指示により、空海が作った結界。
国の起こり、神道の跡を消すために。
八十八か所は四国でなければならなかったのです。
空海の功績は、没後1200年以上に渡り、四国を隠国とすることに成功したこと。日本国民の多くが四国イコールお遍路さん(仏教)とイメージしますもんね。大成功です。
![](https://assets.st-note.com/img/1698568773057-jNeZ05AOBJ.jpg?width=1200)
でも実は、仏教の裏に神道がかくされていたのです。
そして更に掘り進めば、意外な宗教へたどりつく可能性も大。
いずれにしても四国は宗教の島と言えそうです。
本日も最後までお読みいただきありがとうございます。
四国は面白い島です。遊びに来てくださいね。
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